小出監督の魅力とは

 でも、どうしても小出監督に導いてほしい。意を決して同年秋に、マラソンランナーへ転向を果たすことになる。1997年1月、大阪国際女子マラソンに出場。初めてのフルマラソンにもかかわらず、7位に入賞し「有森2世の到来」と話題を呼んだ。

 同年の春、小出監督が積水化学工業に移籍。同じタイミングで、チームメンバーとともに高橋さんも退社を決めた。

 翌年3月には2度目のフルマラソン、名古屋国際女子マラソンで日本最高の2時間25分48秒で優勝。同年12月のアジア大会では自らの日本記録を4分1秒も短縮する2時間21分47秒で優勝。彼女は「これで道はつながったかな、と感じました」と振り返る。

 それにしても、小出監督の魅力とは一体なんなのか。

 それはリクルート在籍中のこと。高橋さんが監督に練習終了の報告をする際、ある選手が走ってきて、抗議したという。

「小出監督は不公平です! 選手によって、見てくれる人とくれない人がいるじゃないですか!」

 緊張が走るなか、監督はこう言った。

お前な、いつまで学生気分でいるんだ。社会人は、上司に自分をどうアピールするかを考え、認めてもらうか試行錯誤するもんだ。全員平等に見てもらえると思ったら大間違いだ

「響く選手」にならなければ、「鐘」を打ちたくない。だから「響く選手」になれ。単なる監督と選手ではない。人間同士として関係を築く重要性を学んだ瞬間だった。

 2000年、3月の名古屋国際女子マラソンを2時間22分19秒で優勝し、高橋さんはシドニー五輪の代表に。われわれの記憶に残るのは、なんといっても、日本人女性陸上初の金メダルに輝いた、あの瞬間だ。瞬間最高視聴率は実に60%近くにも達した。

日本中を感動させた“ボトルのリレー”

レースが動いた瞬間が2回あったんです。1回目は中盤の17キロ地点。先頭集団を抜け出し、集団がばらけたときです

 給水ポイントで、水をとり損なった高橋さんを見ていた日本代表の山口衛里選手が駆け寄り、自分のボトルを渡してくれたのだ。いたく感動した。

みんながライバルなのに。そのとき、あ、もう1人、日の丸の選手がいるじゃないかって

 前方で走っていた市橋有里選手も、やはり水をとり損ねていた。高橋さんは「彼女にもこのうれしさを伝えないと」と思い、ペースを上げ、山口選手から受け取ったボトルを市橋選手に手渡したのだった。その“ボトルのリレー”は日本中を感動させた。

 2回目の転機は、レース後半34キロ地点だ。ルーマニアのリディア・シモン選手とのデッドヒート。

2人で澄んだ空気を切り裂いていくような感じでした

 沿道で応援が沸き、盛り上がりが波のように広がっていく。

このまま一緒に走り続けたいなって。シモンさんも楽しそうだったんです

 終盤、1キロの上り坂を過ぎ、競技場に入っていくトンネルへ。音が一瞬、何も聞こえなくなった。そこから、約8万人が見守る、光の差す会場へ。