やがて執筆や取材、テレビ出演の依頼がつぎつぎと舞い込むようになる。家族に迷惑をかけまいと努力を重ねてきた吉永さんであったが、あるとき、自分は“今”やりたいことをしたいんだと宣言した。人間にも旬というものがあり、今やりたいと思ったことは万難を排してもやらなければならないと思ったのだ。
「母親だから家事が最優先で、その先からしか自分自身の一歩を踏み出せないという観念も覆してみたかったの」
夫も「みんな協力するからひとりで突っ張らないでいい」と言ってくれ、それぞれが家事に参加してくれるようになったという。
夫との別れ
ノンフィクション作家としての頭角を現し、競馬関係や女性の生き方を問うエッセイ、人物ドキュメンタリーなど数多くの著書を上梓する。中でも『性同一性障害』('00集英社新書)は日本初の性転換手術を取り上げ、肉体的な性に違和感を感じて生きる人たちに光を当てた渾身のルポだ。坂本さんが語る。
「あの本がきっかけとなり、『金八先生』で上戸彩が性同一性障害の役を演じて、この問題が人々の知るところとなったと思うんです。
吉永さん自身もお父さんから“この子が男だったらよかったのに”といつも言われていたことが心の傷になっていたそうです。自分らしく生きたいのに、世間がそれを許してくれない人たちに心を寄せて、自分ごととして取り組んだと聞いています。その考え方や着想には独自の視点があると思いますよ」
坂本さんは、吉永さんが抑圧された人たちを何とかしたいという思いが強く、それが作家活動に重なっているという。だから本物なのだとも。
夫・正人さんとはその後、別れることになるが、がんにかかり64歳で亡くなった正人さんを最期まで看病した。長女の悦子さんをはじめ3人の子どもたちとは戸籍上は親子ではないが、今も実子同様、深いつながりがある。昔と変わらず悦子さんにとって、吉永さんはいちばんの相談相手だ。
「母は忙しくなってからは都内のマンションにいたので、離婚してもそんなに状況は変わりませんでした。父は突然大みそかにおいしいものを持って母のところに押しかけたりしていましたね。父は母のことが大好きだったんですよ。入院しているときも母が来るといちばん喜んだので。
結婚していると、こうしてほしいという父親像を求めてしまうけど、それがなくなったら、楽になったと母は話していました」
吉永さんは幼いころ憧れた“家族同士、仲のいい明るい家庭”に近づきたかったのだが、としたうえでこう振り返る。
「なかなかうまくいかなかったですね。1回途切れもしましたし。今は私が育った家庭も変だったとは思ってなくて、家族にはいろんな形があって、あれもひとつの形だったんだろうと思っています」