子どもたちは自分の今後を気遣ってくれるが、面倒をかけずにひとりで暮らしていけるよう準備をしたいという。
「家族というのは、ずっと死ぬまで家族だと思ってなくていいんじゃないかと思うの。人間は結局ひとりだから」
人生の終盤戦をどう送るのか
そう切り出すと、大好きなパンダの生態からも学んだという家族論を語ってくれた。
「パンダってすごいなと思ったのは、昨日までお母さんにおっぱいもらったり、親子で仲よく遊んでたのに、今日からはもう会いませんって離れて暮らすようになること。
自然界の哺乳動物は、あるところまでは親子だけど、子どもがひとり立ちしたら、もうその縁は切れるのね。お互いが一生懸命、生きましょうねってことなのよ」
パンダの親子の潔さに、人間も本来はそうあるべきではないかと感じたという。
「私はその距離がとれないまま、ずっと親を引きずり、親も私を引きずっていたから。母たちの時代は次の世代に頼って生きるのが当たり前だったしね」
結婚の有無にかかわらず人間はひとりであり、役割を分担して補完しあっているうちはひとりでは生きられない。これからは個々が自分の人生をひとりで責任を持って生きる認識が求められると語る。
「あるとき家族として一緒に生きた人たちのおかげで、いろんな意味でよかった。それは私が家族を持ったことによる膨らみ方。結婚しなかった人は私とは違う膨らみ方をしているわけで、どっちがいいとか比べる必要もないわよね。
パンダじゃないから別に顔も見ませんとか付き合いませんというわけじゃないけど、これからは意識としてひとりの人間同士、でいいのかな?」
昨秋、最後に残った飼い犬を見送り、それを機にマンションをリフォームすることにした。
「20年近く犬がいる生活をしていたので汚れていたし、広く使いたくて寝室と仕事部屋をつくったの。仕事をやめるころに仕事部屋つくってどうするの? って感じだけど(笑)。ベッドから降りて車いすに乗れるスペースもつくったし、車いす用のお金も取ってある。ひとりで生きると決めたら、やるべきことが見えてくるでしょ。経済的なことも必要だし、精神的なこともね」
古希を前にして、人生の終盤戦をどう送るのか、どう“臨終”のときを迎えるのかを考えるという。
「本当はもう十分、生きたと思っているから、いつ死んでも悔いはないの。でも、せっかくリフォームしたから、ちょっとそこで暮らしてみたいかな(笑)。
元気なまま死ねたらいいけど、要介護状態になるかもしれないでしょう。それでも生きていかなければならないから、心を鍛えなきゃと思っているの。ただ無理に延命しようとは考えていないので、尊厳死協会にも入ったわ」