日本で初めて『カリカリ梅』を開発・販売した赤城フーズの6代目社長・遠山昌子さんと、働く女性から圧倒的な支持を得ているチョコレート『LIBERA』のマーケティングを支える、江崎グリコの犀川有彩さん。お菓子のために頑張る2人の女性に、看板商品の開発・改良にまつわる悲喜こもごもをたっぷりインタビュー!
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「前橋にようこそ! 群馬県は、実は梅の生産量が全国第2位なんですよ」
そう言って笑顔で迎えてくれたのは、日本で初めて『カリカリ梅』を開発・販売した赤城フーズの6代目社長・遠山昌子さん。かつては宝塚歌劇団で“遥海おおら”の名で活躍していたというから驚きだ。
「入学当初の記憶はほとんどない」
「小学5年生のとき、何げなくテレビで、真矢みきさんがオスカル役の『ベルサイユのばら』を見て。大号泣しながら、“こんな世界があったなんて”と、ドツボにハマりまして(笑)」
本場の宝塚大劇場で観劇したのが中学3年生のとき。“端っこでもいいから、私もこの舞台に立ちたい!”と宝塚音楽学校の受験を決意した。
「幼いころからバレエを習っている子が多い中、私はバレエをやってないどころか運動音痴。無謀というか、バカというか(笑)」
高校が終わると、毎日往復5時間かけて、東京までレッスンに通ったが、中3から高2までは不合格。
「(受験資格の)最後のチャンスだった高3で、なんとか合格できました」
度肝を抜かれる厳しい音楽学校生活が始まった。
「1年目は壮絶すぎて、入学当初の記憶がほとんどありません。ただ、在団中も退団後も、“あのときに比べれば大したことない”と思え、頑張れてしまうんですよね(笑)」
卒業後は初舞台を踏み、宙組の配属に。入団時は43人中32番だったが、3年目には8番に。やっと望む役ができるようになってきた矢先、実家から1本の電話が入る。
「『カリカリ梅』を開発した(4代目社長の)祖父の持病が悪化。いつ倒れてもおかしくない状況だ、と」