酸素ボンベをつけた少女を招待
東京・浅草、雷門前、午前9時。降りしきる小雨の中、「雷」マークの半纏に足袋姿の若者約25名が集まった。この地で人力車を営業する最大手『えびす屋浅草』のメンバーだ。同社は約6年前に大住と出会い、NPOの活動に賛同。難病の家族を浅草で歓待するボランティアに協力している。
「今日、頼むね!」大住は若者らに声をかけながら背中を叩いたり、固い握手を交わしたり、士気を高めていく。
多くの人に協力を仰ぐ理由を、「地域の人との触れ合いや人情を味わってもらいたいから」と大住は言う。
難病の子は、日ごろ限られた人としか触れあえない。両親はいろいろな人が子どもの名前を呼んでくれることだけでうれしいという。その気持ちを大切にしているのだ。
やがて雷門前に黒のアルファードが横づけになり、車イスに乗り酸素ボンベをつけた和花ちゃん(11)とその両親、妹2人が降りてきた。
「こんにちは、和花ちゃん、歩花ちゃん、優里花ちゃん。今日1日楽しんでいこう」と若者たちが口々に声をかける。
この日、大住のNPOが『ウィッシュ・バケーション』と呼ぶ2泊3日のディズニーランドと浅草周遊の旅に招待されたのは、京都からやってきた野村さん一家だ。
父親の昌希さんは、「下の2人の娘とのお出かけは、いつも父親か母親のどちらかだけでしたから、家族全員で来られて2人も楽しそうです」と言う。母親の佑加さんは、車イスに乗る和花ちゃんの額に手を当て心配そうな様子だが、「この2週間、どきどきしていました」と明かす。
和花ちゃんは小学3年生だった2年前、突然倒れて小脳出血という難病だと診断された。当初は余命わずかと言われ、歩くことも喋ることもできなくなった。以降、24時間付き添い、2、3時間おきに痰を吸引。1日3回、鼻に入れた管から栄養をとる生活だ。誰かに助けてもらわなければ、家族で外出などおぼつかない。
大住は車イスを押す家族に寄り添い、仲見世通りをゆっくり歩く。浅草寺で参拝をすませると、行列ができるメロンパンの『花月堂』へ。世界のVIPの似顔絵を描く『カリカチュアジャパン』では家族の似顔絵を描いてもらい、昼食は天ぷらの老舗『大黒家』で大きな天丼をいただいた。立ち寄る店はすべて、大住が提携交渉している。
「和花ちゃんが喜んでいるのは、心拍数を見ればわかります」
母・佑加さんが安堵の表情を浮かべる。