一方で父を失ったショックもあり、成績は下がっていく。附属といってもエスカレーター式に上がれる中学ではなかった。浜野はやっとの思いで県立女子高校に「潜り込んだ」という。
母という女に惚れていた
高校生になると、アルバイトをして映画を見に行くようになった。母は成績が伸び悩む娘を心配して、静岡大学に通う大学生を家庭教師につけてくれた。ところがしばらくすると、寮住まいのはずの彼が家に居ついていた。
「狭い家なのに、彼に一部屋与えて食事もさせて。私には母が恋愛したとしか思えなかった。それでものすごく反発したの。学校へ行かなくなったり、大阪の親戚のもとへ家出したり。周りは私が家庭教師を好きになったと思ったみたい」
思春期の娘にとって母親の恋愛がおもしろいはずがない。しかし、それも浜野の心理とは異なる。浜野は母親に恋をしていたのである。
「ずっと考えているんだけど、あの気持ちは母に対する娘の気持ちではなかったと思う。私は女として、母という女に惚れていた。だから母を取られたということではなく、私の恋人を取られたという嫉妬だったのかもしれない」
浜野は中学生のころ、相手の親が心配するほど特定の女友達を好きになった。のちに上京して一緒に暮らしたのも女性である。バイセクシャルであると公言もしている。その源となるのは、「母という女」への恋慕だったのかもしれない。
結局、いづらくなった大学生は家を出て行った。ところが代わりに、浜野の担任が家に来るようになった。ふたりが恋愛関係にあったかどうかはわからない。
「母はとにかく寂しかったんだと思う。30代半ばで夫に死なれて頼るところもなくて。それから静かに精神的におかしくなっていったんですよ」
浜野が家に連れてきた友人に、「私を笑いに来たんでしょ」と丸めたタオルを振り上げたこともある。そしてある日、母がいなくなった。近所の人と探し回ると、駿府城址のお堀でオールもないボートに乗って流されている母の姿が目に入った。
「それを見て、母を追いつめたのは私だと、今度は私のほうがおかしくなっていって。私の存在がおふくろを苦しめていると思い込んだんです。私の独占欲が、母の恋愛も人生も奪ってしまったのではないかと」
浜野は母親のことを話すとき、ときどき「おふくろ」という言葉を使う。そこに「自分のオンナ」と感じている一端を見るような気がしてならない。
母は病院に通って徐々に落ち着きを取り戻したが、浜野の気持ちは深く傷ついたままだった。高校時代の後半は、家を出てアパートを借りて生活していた。
「母との間に決定的な溝を作ったような気持ちになっていました。好きな女を傷つけてしまった罪悪感ですね」
お互いに気を遣っていたから表面上は仲がよかったが、あのころのことだけは話せないままだった。