市内の小学生が地域の産業に触れるために校外学習に訪れることもある。「子どもや赤ちゃんは敏感ですね。ウチのタオルに触れるとパッと表情が変わるんです」と池内さん 撮影/伊藤和幸
市内の小学生が地域の産業に触れるために校外学習に訪れることもある。「子どもや赤ちゃんは敏感ですね。ウチのタオルに触れるとパッと表情が変わるんです」と池内さん 撮影/伊藤和幸
【写真】赤ちゃんが口にしても安心、スタイを持つ池内さん

「これ以上、無理」という社員にかけた言葉

 現在、マネージメントにはノータッチ。青山、福岡、京都の自社ストアで定期的に説明会を行うほか、「種からタオル」と題し、子どもたちに向けての講演も行っている。

「僕はエンドユーザーに会いたい人だから。自分の価値観でしかものを作ってこなくて、それを買ってくれた人が“ありがとう”と言ってくれるんですよ。ものを作る人間にとって麻薬のようなものです」

 ブランド立ち上げ当初の池内さんの口癖は、「お客さんを3人集めてくれたら説明に行く」。実際、演歌歌手のようにタオルを引っ提げてどこにでも赴いた。初めての商談相手には必ず90分以上時間をもらっていたというのも、少しでも真意を伝えたいから。取引先はもちろん、エンドユーザーとのこの距離の近さは、ひいてはコアなファンを生みだす。スタイリストの谷山伸子さんもそのひとりだ。

「取材時に何度かスタイリングをさせていただいたりしています。代表って、タオルのこだわりはすごいのに、お持ちのスーツは全部グレーなんです。そこで以前、私がフルコーディネートを担当させていただいたのですが、ポーズも笑顔もお願いしたとおり受け入れてくださって。お立場があって、年齢を重ねた方ってどうしても頑固になると思うのですが、本当に柔軟というか。テレビの撮影にお供させていただいたときも“あなたに任せるから”と委ねてくださって」

「妻が引くほどの池内さんファン」と笑うのは、55歳からの大人のフリーマガジン『リトルノ』編集長の森田利浩さん。昨年は、祇園祭限定のタオル販売のボランティアにも参加した。

「そのとき、お礼ということで京都ストア店長の益田さんからタオルをいただいたんですが、“そういうことじゃないんです。タオルは普通に買います。それよりも、エシカルな企業として被害に遭われた地区に寄付するとか……”というお話をさせていただいたんですね。昨年は西日本に大雨の甚大な被害がありましたから。そのことがあってから1日ぐらいでさっと決裁が下りたみたいで。益田さんを通して、“アドバイスをありがとうございます”とおっしゃっていただきました」

 決断の早さもさることながら、タフな環境を凌いできた池内さんの言葉のひとつひとつにパワーをもらえるのだと森田さん。なかでも印象に残っている言葉を聞いてみた。

「“めんどくさいは美しい”ですね。“美しい”というところがいかにも代表らしい。この言葉の中に代表のすべてが詰まっている気がするんです。あえて難しいほうを選び、チャレンジする姿勢に美意識を感じます」

 オーガニックという言葉が浸透する前の時代に莫大な労力をかけて開発、広報を続け、今や定番商品となった「オーガニック120」の誕生から20年。池内さんは次の20年のスタンダードモデルを生み出すべく頭を悩ませている。

「アイデアの片鱗はあって、糸もできあがってきて、僕自身は使っているんだけど、工場が“代表用の1枚は織りましたけど、難しくてそれ以上は無理です”って言うんです。でも、めちゃくちゃいいんですよ。だからいま、なだめすかしているところです。“織れないからこそ世界で誰も体験したことがないタオルができるんだし、お客さんも喜ぶんだよ? って。それに、今までウチで売れたタオルで、織りやすかったものなんてひとつもなかっただろ? 頑張れ!”って」

『IKEUCHIORGANIC』撮影/伊藤和幸
『IKEUCHIORGANIC』撮影/伊藤和幸

 誰もが日常的に使うタオルのクオリティーを更新し続ける池内さん。次の20年を担う新定番のタオルも、きっと日常に小さな喜びをもたらしてくれることだろう。


取材・文/山脇麻生(やまわき・まお)ライター、編集者。漫画誌編集長を経て'01年よりフリー。『朝日新聞』『週刊SPA!』『日経エンタテインメント!』などでコミック評を執筆。その他、各紙誌にて文化人・著名人のインタビューや食・酒・地域創生に関する記事を執筆。