神童と凡人の分岐点とは
十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人。凡人にはわからない世界だが、森林さんのように、神童レベルにもヒエラルキーがあるようだ。
「残酷な話ですが、まったく素地がない人が努力してもそのレベルには到達できません。本物の神童、天才というのは、8割の地頭と2割の努力でスーパーマンになり、努力型の天才は、地頭のよさが2〜3割で、あとは努力とトレーニングの積み重ねといわれますがこれは多くの進学校生徒が実感しているようです。
そのトレーニングが苦しいと感じたとき、これだけやっても追いつけないのか、と自分の限界を知るときが神童としての人生の岐路になるわけです」
生まれ持った才能となると、両親からの遺伝も影響するように思える。凡人同士のカップルから“スーパーキッズ”が誕生することはないのだろうか?
「証明は難しいですが、ケースを拾い上げていくと両親が神童、もしくはそれに近いということが多いかもしれません。しかし、努力型の天才なら、親のしつけ、特に母親がどれだけ教育熱心か、が大きいのではないでしょうか。
あとは環境ですね。両親ともに際立って勉強ができたわけでなく学歴もそこそこ、という家庭に神童の才を持った子どもが生まれたとします。その子どもが中学受験したい、と言い出したときに、その思いを親が受け止められるか。また、家庭の経済状況がそれを許せる余裕があるか。もしかしたら、とんでもない天才が、生まれた環境のせいで野に埋もれてしまっているケースもあるかもしれません」
神童のあり方も、時代の変化とともに変わってきていると小林さんは危惧する。
「今は神童と呼ばれた成績のいい子どもたちは、ほとんど医学部に行ってしまうんです。それは頭のよさの証明ということもあるだろうし、そういう才を持っているからということもあると思う。でも、経済的にも地位としても安定しているということがいちばんの理由なんです。
こういった状況はこれからも続くと思いますが、狭い分野に頭のいい人が集まってしまうのは、日本の将来にとってよくないことではないでしょうか。官僚や一般企業、ジャーナリストなどいろいろな分野で、神童としての才能を自分の収入のためだけではなく、社会の役に立ててほしいと思います」
世の中の発展に寄与するであろう特別な能力。いろいろな分野で神童やスーパーキッズと呼ばれ、注目を集めたあとの彼らの“人生模様”も気になるところだ。