166cmの小柄な身体で、屈強な選手たちの中で戦う田中史朗(34)。いまや、日本最高峰のプレーヤーの1人。だが、高校入学当初の田中の印象について、伏見工業高校ラグビー部監督だった高崎利明さんは、
「正直に言えば、ここまで伸びる選手だとは思っていませんでした。その片鱗が出てきたのは3年生になってからですね」(高崎さん、以下同)
きっかけとなったのは、田中が高校2年生のときに出場した全国大会の予選でのこと。
「欠場した3年生の代わりにフミが出場したのですが、緊張したフミがミスを連発したんです。試合は負けてしまったのですが、これを機に人一倍努力するようになりました」
早朝ランニング。夜は遅くまでパス練習。高崎さんは「人の2倍は練習をしていた」と明かす。3年次には全国大会でベスト4に。「3年のときには、ほかにはいない能力の高い選手になっていた」という。
厳しい環境に身を置いた田中
その後、京都産業大学へ進学。同大学ラグビー部の大西健監督のすすめで、オークランドへ半年間留学をした。
「2年生のとき、この子は特殊な才能があると思い、留学をすすめました。勉強してきたようで、視野がだいぶ広がりました」(大西監督)
'08年には日本代表に選出され、'11年のW杯に出場したが、1勝もできずに惨敗。さらなる成長を求めた田中は、より厳しい環境へと身を置く。
スポーツライターの大友信彦さんが説明する。
「日本人で初めて世界最高峰のリーグである『スーパーラグビー』でプレーをした選手です。ニュージーランドでは、いちばん有名な日本人選手ですよ」
'15年にはリーグ優勝も経験し、そのキャリアは国内で比肩する者は少ない。田中が歩んだ道のりは並大抵のものではなかった。大友さんは、
「身体も大きくない選手ですから、自分を追い込みながらも、ここまで達成してきた。会見でもたびたび涙を流すことがありますが、彼自身が内に秘めている感情が、反映されているのでしょうね」
過去インタビューで兄に“チビ”と呼ばれ、身長が低いことに劣等感があったと明かしつつ、ファンの子どもらには、こう伝えているという。
《ぼくは毎日、努力してラグビーを続けて、日本代表として頑張っている。だから、ラグビーでなくても、自分の好きなこと、一生懸命にがんばれることを見つけてほしい。一生懸命やれば、きっといいことがあるよって》
田中はいま“小さな巨人”と呼ばれている。