従業員の幸せに気づいた社長時代

 その年末には『インターナショナル』を創業。30歳の青年社長はウエストシップ時代の女性社員2人と3人体制で東京都四谷に4畳半のオフィスを借り、2002年頭から本格的に業務を開始した。旅行業界での10年近いキャリアが生きて、かつての顧客も集まり、1年目から黒字を計上。だが、直後に足をすくわれる。

 島田は顔を曇らせた。

「ウエストシップ時代に社長が数字を見せずにお金を自由にする傾向があって、社員たちは“嫌だな”と不満を口にしていました。自分もそれに近い状況に陥ってしまった。ある日、創業時についてきてくれた2人から“やめます”と宣言されて、困り果てました。彼女たちも人情があって、後任が決まるまではいてくれましたけど、会社は舵を取る人間が勝手気ままにやったらダメになるんですよね」

 最初の挫折を味わいながらも、何とか乗り切った島田だが、社員20人規模に拡大した4~5年後、再び遊び癖が出てしまう。夜の街で散財し、午後からだらしない格好で出社して社員から白い目で見られる中、とうとう涙ながらに社員一同に詰め寄られた。

「私たちは社長の自己実現のために働かされているんですか!?」

 そのとき、社長としてのあり方をゼロから見直す必要に迫られ、島田は気づいた。「自分の会社には理念がない」と。

「初めて経済書を読み漁って、出会ったのが京セラの稲盛和夫会長の『敬天愛人』という本。“経営者は従業員の幸福を追求するもの”という言葉を読んで、頭をトンカチで殴られたような気がした。社員との関係がうまくいかなかったのは、そういう理念が欠けていたからだと気づいたんです。傲慢な考え方を捨てて気持ちを入れ替えました」

 社長の意識改革によって業績は伸び、長年の目標だった株式上場も見えてきた。そんな矢先の2008年9月、リーマンショックが起きる。経済環境の急激な悪化に加え、急速なインターネット化で旅行業のシステム自体も大きな転換を迫られつつあった。「今のうちに全社員の幸せのために打開策を講じなければいけない」と危機感を募らせた島田は2010年1月、会社売却というまさかの一手に出る。

「今、一部上場企業に会社を売れば、社員の給料も上がり、去る人には退職金も支払える。自分自身も大橋巨泉的人生を送る資金も得られる……。全員がウィン・ウィンになると考えて売却に踏み切りました」

 妻には、共通の趣味であるウォーキング中に報告した。

あのころの主人はすごく疲れているように見えた。家族旅行でハワイに行っても電話がひっきりなしにかかってきて、娘たちから“パパ、携帯捨てて”と言われていたほど。正直、よかったのかなと思いましたね」