スポーツを通じ、日本を元気に

 後継指名された米盛氏は気を引き締める。

「島田会長と出会ったのは昨年末。強面社長のイメージが強かったんですが、気さくでユーモアのある方でした。年明けには“ウチに来ないか”と誘われ、6月に“私がそばで支えるから社長になってくれ”と直々に頼まれ、覚悟を決めました。やはりナンバーツーとナンバーワンは全然違う。島田会長のようにはなれませんよね」

 苦笑いする新社長は数年後に日本バスケ界初の1万人収容のアリーナを建設して、売り上げを倍以上に引き上げるつもりだ。そんな頼もしい後継者を島田は父親目線で温かい目で見守りながら、自身の次なる役目を見据えている。

 9月からはサッカー、バレーボール、ハンドボールなど団体ボール競技強化の組織である「日本トップリーグ連携機構」の理事兼クラブ経営アドバイザーにも就任。日本のスポーツ界全体の発展に貢献することにも乗り出したのだ。ほかにもたくさんのスポーツ関係団体から「ウチを助けてほしい」と引き合いがきている。

米盛新社長に1万人収容のアリーナ建設計画を託した島田さん。今後もさらなる「顧客満足の向上」を目指していく 
米盛新社長に1万人収容のアリーナ建設計画を託した島田さん。今後もさらなる「顧客満足の向上」を目指していく 
【写真】1億円プレイヤー富樫勇樹と喜びを分かち合う島田会長

 島田はジェッツとの縁をこう意味づけている。

「40年の人生を振り返ると、自分勝手でいいかげん、苦しくなると逃げる一面があった。これまで自分中心で生きてきて“世に必要とされる人間になりたい”と思ったときに出会えたのがジェッツだった。そこでの7年半の経験が自分を変え、クラブを変えた」

 ひとつの大役を終え、穏やかな表情をのぞかせる。

 スポーツを通して日本を元気にする活動にこれからも注力していくことになるであろう島田。妻もその姿を支える。

「今は新社長の育成を第一に考え、ときどき、家に呼んではいろんなアドバイスをしています。ただ、主人は思いついたら即、行動の人。これと思うことがあれば、すぐ始めると思います。そんな生き方を近くで見守っていきます」

 夢の大橋巨泉的な悠々自適ライフはもう少し先になりそうだ。


撮影/齋藤周造、伊藤和幸

取材・文/元川悦子(もとかわえつこ)サッカーを中心としたスポーツ取材を手がけ、ワールドカップは'94年アメリカ大会から'14年ブラジル大会まで6回連続で現地取材。著書に『僕らがサッカーボーイズだった頃』(1〜4巻)、『勝利の街に響け凱歌─松本山雅という奇跡のクラブ』ほか