障害があるから相手にされないんだ
みゆきさんは20歳のとき、故郷である千葉の実家を離れ、山梨に来た。宝飾関係の会社で働き、24歳でかねてから付き合っていた正幸さんと結婚。翌年、長女の紗也香さんが、次の年に幸男くんが生まれた。
目の異変に気づいたのは生後2か月のときだ。母子手帳の記念写真を撮る際、看護師から「お昼寝から覚めたばかりで、どうしても片目を開いてくれなくて……」と言われた。
「そのときは“眠たかったのかな”くらいにしか思わなかったんです。だけど、まぶしそうにパチパチと瞬きはしているのに幸男と視線が合わないことに気づいて……」
そのうち、幸男くんの瞳が時計の振り子のように振り始めた。眼振と呼ばれる症状だった。
市立病院に行くと、右目の網膜が剥がれ、眼球がつぶれたピンポン球のようになっているという。左目の眼圧も上がっていて、そちらも失明するかもしれないと言われた。
「現実のこととして受け止められなくて、悲しいという感情は湧いてきませんでした。“何のこと? 誰のこと?”という感じ。でも徐々に現実を知ることになったんです」
息子がほかの子とは違う─。その思いは、みゆきさんを悲観的にした。
入院していた病院でクリスマス会をしたときのことだ。サンタクロースに扮した医師と看護師が子どもたちと目を合わせ、微笑みかけながらプレゼントを手渡していく。だが幸男くんの番になると、視線に戸惑いながらスッと渡し、次の子に話しかけた。その一瞬の出来事に、みゆきさんは傷ついた。
「“やっぱり障害があるから相手にされないんだ”と思ったり、周囲の何気ない言葉でも非難されているようで胸に突き刺さりました」
生後8か月のころ、幸男くんの目が奇跡的に回復した時期がある。「左目の一部だけぼんやり見えている」と医師から説明を受け、みゆきさんは張り切った。
ぬいぐるみや食べ物など、できるだけたくさんの物を見せて話しかけた。
だが喜びもつかの間、そのころから幸男くんは、左目を手で押す“目押し”を始める。甲府の病院では「目の悪い子特有のクセだから、放っておいて大丈夫」と言われたが、3か月後、国立の病院に行くと「今すぐやめさせて! 失明するかもしれません」と言われてしまう。
「もう本人はクセになってしまっていて、やめさせられない。なぜそこまでして目を押したいのかと思うほど、執念深いんです。そこからはバトルでした」
目押しをさせないように、片目全体を覆う透明で眼帯のようなものをかけさせた。それでも、眼帯を押し上げて押そうとする。「目が見えなくなっちゃうからダメだよ」と必死に言っても、2歳の子どもにはわからない。犬が手術後につける保護具『エリザベスカラー』を首に巻こうか、手にコルセットを巻こうか、いろいろアイデアを出したが、結局、トイレットペーパーの芯に緩衝材をつけ、ひじを覆って腕が曲がらないようにした。苦肉の策だった。