私が立ち上がらないで、どうする
しかし、3歳になったある日、突然、幸男くんが言った。
「ママ、電気が消えちゃったよ、早くつけて」
まだ夕方、真っ暗という時間ではない。慌てて病院に連絡しましたが、左目の網膜も完全に剥がれてしまっていた。
両目の失明、全盲─。みゆきさんは絶望の淵に立たされ、自分を責めるように泣き続けた。
「実は結婚してすぐ、義父が末期がんで亡くなってしまっていたんです。“不幸が重なるのは私がこの家に来たせいだ”と思い詰めていました。何かのせいにしないとやっていけないけれど、誰のせいにもできなくて」
母が悲しみに暮れていても子どもたちはかまわずお腹を空かせるし、ときに天使のような笑顔を見せてくれる。「私が立ち上がらないで、どうする」と自身に言い聞かせた。
幸男くんは身体も弱く入退院を繰り返していた。そのころ、姉の紗也香さんもまだお母さんが恋しい年齢。そんなとき、千葉からいつも駆けつけ、力になってくれたのが実家の父親だったという。
実父はみゆきさんが小学校6年生のときに交通事故に遭い、身体に後遺症が残った。就業が難しくなると、母が働きに出て、父は家事をこなす“専業主夫”になった。まったく経験のない家事に追われる日々。「定番メニューの冷凍コロッケは毎回、中身が全部出てる。そんな父を嫌だなぁと思う時期もありました」と、みゆきさんは微笑む。
しかし、文句を言うわけでも、家族に当たるでもなく、自分の境遇を受け入れ、ただ毎日、家族のために尽くしてくれた。みゆきさんは逆境を受け入れる父の姿を思い返した。
「そういえば、父は我慢強い人だったなぁって……」
嘆いていても、意味がない。自分が動かなければ子どもたちは生きていけないのだ。みゆきさんは立ち上がった。
「あきらめない子に育ってほしい」「挑戦できる子になってほしい」そんな思いを胸に秘め、工夫を重ねた。
毎晩子どもたちが寝る前には、2人が持ってくる絵本を全部読んであげた。目で見てもののイメージをつかむことができないため、みゆきさんは幸男くんの手を取り、お腹を叩いて「タヌキはこんなふうにお腹をポンポンするんだよ」、鼻先をギュッと指で押して、「豚さんの鼻はこんな形をしているんだよ」と教えた。
そんな努力のかいあって、幸男くんが小学校に上がったとき、「語彙が豊富で助かります」と先生から褒められた。