それでも決してのびのびと育ったわけではない。常に大人に囲まれていたから、いたずらをしながらも“空気を読みまくる子”だった。心から親切にしてくれる人、いい顔をしながらも内心、邪魔だと思っている人を見分ける力は鍛えられた。
ひばりの付き人だった関口範子さん(79)は、こんなエピソードを覚えている。
「周りはお嬢さん(ひばり)がかーくんを溺愛して甘やかしたというけど、意外と厳しかったですよ。劇場から帰るとき、お嬢さんは車の窓を開けてファンの方たちに手を振るんです。隣に座っているかーくんは、仕事が終わったのだからママを自分だけのものにしたい。だからその手を押さえる。そうするとお嬢さんは、“ファンの方たちがいるから、ママは大好きな歌を歌うことができるの。ママが歌を歌えるから、あなたもちゃんとごはんが食べられるのよ”と丁寧に言い聞かせていました」
1年のうち3分の2近くは劇場に出ていたひばり。だが自分が幼稚園に入ると地方には連れていってもらえなくなる。5歳の加藤は、幼稚園の入園試験ではテスト用紙に何も書かず、平均台を歩くテストでも乗らなかった。
実父との交流は心の支え
「それでも幼稚園には受かってしまったんですが。それ以来、家にはいつも誰かがいたけど、おふくろたちがツアーに出てしまうと僕はひとりで食事をするような生活。地方に行っているなら、まだあきらめもつく。都内の劇場に出ているのに、なかなか会えないときは寂しかったですね」
加藤に大きな影響を与えた実父の哲也さんは、加藤が4歳のとき銃刀法違反で2年の実刑に。だが出所後は、加藤の心の支えになっていた。
「おふくろの許可を得て、よく父のところには遊びに行ったり泊まりに行ったりしていました。親父はけっこうべらんめえなしゃべり方をするタイプで、“てめえのことばかり言うんじゃねえ”“てめえなんかエラくないんだから勘違いするな”とよく言っていましたね。
いま思うと、美空ひばりという人のために家族は振り回されざるをえなかった。親父も『美空ひばりの弟』という立場が窮屈だったんじゃないでしょうか。でも、出所後は、おふくろの舞台のプロデュースをばあちゃんと一緒にするようになって生き生きしていました」
哲也さんは本当に心優しい人だったと、お手伝いの辻村さんは言う。
「地方ツアーに私はついていきません。かーくんが学校へ行くと、哲也さんは“今日はオレが何か作ってやるよ”と食事を作ってくれたり、“たまには映画でも見ておいで”とお小遣いをくれたり。あまりに優しすぎたから、いろいろな人につけ込まれたんじゃないでしょうか」
その優しさは、加藤にも受け継がれていると辻村さんは言う。彼が小さいとき、熱を出して寝込んでいた辻村さんのもとに、ビニール袋に氷を入れて額にそっとのせてくれたのだ。
「今思い出しても、たまらなくうれしかった」と彼女は言う。