喜ぶようなことがあれば、進んでやる
はつゑさんの行動力を知る、ひとつのエピソードがある。子育てが一段落したのを機に57歳で日本一周の旅に出たのだ。50ccの原付バイクにのり、1日に数百キロ走ったりしながら、3か月半かけて回った。そして300万円ほどのお金を、行く先々で現地の恵まれない人たちへ寄付したという。
「各地でいろんな出会いがあって、それはもう、親切にしてもらったんだよ。これからの人生でこのときに受けた親切を、周りの人たちに恩返ししていかねば、って思ったのが食堂をやるきっかけだったんだよね」
自分の幸せは、人に与えて何分の一かをいただくもの。人を泣かせば、泣かされる。人を喜ばせれば、自分にも喜びがある。
みんなが喜ぶようなことがあれば、進んでやる──それが私の信条なのかな、とはつゑさんは語る。幼いとき、十分に得られなかった両親からの愛情。奉公先で受けた苦難。自分を何度も裏切った夫。つらいときの思いは恨みと思わず、周囲の人たちから受けた恩を、何倍にもして返していきたいという。
82歳となった今でも、体調はすこぶる良好だ。軽い糖尿病、高血圧と診断され、薬を飲んではいてもまだまだ元気いっぱい。
「魚屋で働いとったから、マグロが好物でね、いいもんがスーパーにあれば、毎日食べとるよ。それが健康の秘訣かもな」
赤字続きと知る常連からは、値上げをすすめられるが、開店から続く500円からは絶対に値上げしない、と胸を張る。
「孫6人、やしゃご6人いて、自分の墓ももう作った。不安もなければお金もない。消費税が上がっても、ワンコインで続けるよ」と、はつゑさんは意欲満々だ。
「ありがとうって言ってもらえる今が人生で最高。これでいつかポックリ、自分の人生を店じまいできれば、思い残すことなんて、なんにもねえよ」
たむら・はつゑ◎1935年、群馬県生まれ。幼少期から奉公に出され、子守として働く。機屋などでの住み込み生活を経て結婚、3児の母に。内職、パートに精を出し、子育て終了後は地元企業に就職、定年まで勤め上げる。62歳から惣菜販売、68歳から食堂「はっちゃんショップ」をオープン。毎日日替わりのおかずを15品・50人前の食事を5時間かけて調理。店内では残ったお惣菜の量り売りも。地域のコミュニティの場にもなっており、地元の人たちに愛されている。
文/山守麻衣(NHKガッテン2018年春号より転載)