去る3月1日、東京マラソンで2時間5分29秒の日本新記録を叩き出したプロランナーの大迫傑(すぐる/28)。自身が’18年に樹立した日本記録を21秒更新する快走劇の最後、雄叫(おたけ)びをあげ、ガッツポーズを決めながらゴールに飛び込んだシーンには、コロナ禍で沈みがちだった日本中が沸いた。
中学時代から“1番になりたい”気持ちが強かった
「もともと箱根駅伝のスター選手でしたが、早稲田大学卒業後、入社した実業団チームを1年で突然辞めてアメリカへ。スポーツブランド・ナイキのプロチームに所属して一気に飛躍しました。前回と今回の日本記録樹立で合計2億円もの報奨金をゲットしたことも話題に」(スポーツ紙記者)
その一方で、
「以前から“わがまま”なんて言われることもありましたね。早稲田時代、主将であるにもかかわらず、駅伝チームを抜けて、長期アメリカ留学をしてしまった際には、チーム内の不協和音も囁(ささや)かれたりしました。最近も自身のSNSで日本陸連に物申したり、急に丸刈りにしたり、両耳にピアスをつけて走っていたり、日本人には珍しい“わが道を行く”陸上選手です」(前出・スポーツ紙記者)
そんなニューヒーローだが、冒頭のレース直後のインタビューでは、涙を流し言葉に詰まるひと幕もあった。
「今回はうれし涙でしょうけれど、高校時代もレースで負けて涙を流すことは珍しくなかったので、“彼らしいなぁ”と思いました。普段、マスコミの前では冷静さを装っているんです(笑)。本当は感情が表に出やすい、感情的になりやすいタイプなんです」
そう笑うのは、大迫を高校時代に指導し、現在は東海大学陸上競技部で長距離・駅伝監督を務める両角速(もろずみはやし)氏だ。
「当時から“負けたくない”“1番になりたい”という気持ちが強い選手でした。私が大迫を初めて見たのは、中学校の全国大会3000mの決勝ですが、そこで彼は3位だった。負けても全国3番なら、たいていの中学生はうれしさが出るものなんですが、彼ははいていたシューズを地面に叩きつけて悔しがっていた。そんな中学生を私は見たことがなかったので“こんな子がいるんだ”と驚いたことを覚えています」(両角監督)
勝てない相手でも「常に前を走る」
激しいまでの“負けず嫌い”っぷりには、大迫が中学2年の夏から通っていた陸上クラブチーム『清新JAC』の畠中康生代表も口をそろえる。
「こと練習に対しては中学生とは思えないストイックさでした。当時、ウチのクラブには大迫より速い選手が2人いたんです。そのうちの1人は、当時、大迫より断然すごい選手で。その選手と大迫は、1000回……2000回は練習や試合で一緒に走っていると思いますが、中学3年間、ただの1度も勝てなかったんですから」(畠中代表)
それでも、大迫はライバルに真っ向勝負を挑み続けた。
「常にライバル選手の前を走ろうとしていました。でも向こうのほうが強いので、最後はどうしても抜かれてしまう。そうすると、大迫は涙を流しながら競技場のトラックを拳で殴って悔しがっていたんです。それくらい“勝ちたい”という気持ちが誰よりも強かったですね」(畠中代表)