“永遠の不良少年”が隠した闘病生活
闘病生活を送っていることは伏せられており、死後に冨田からコメントが発表された。
《これまで、本人の強い意向により、病のことは公表せずに参りました。最期は、とても穏やかで安らかに、ゆっくりゆっくり、眠る様に息をひきとりました》
突然の死に芸能界には衝撃が走り、故人を偲ぶ追悼番組が放映された。'19年4月には音楽専門チャンネルで生前最後のライブ映像、同年12月にはTBSチャンネル2で『ショーケンFOREVER 追悼・ボクらが知ってる萩原健一さん』がオンエア。
「萩原さんは“永遠の不良少年”と呼ばれただけあって、感情の起伏が激しく気難しい方だったのは確かです。その一方で信仰心が強く、'83年に大麻所持で逮捕された際は、判決が出た翌日に瀬戸内寂聴さんの寺院『寂庵』に身を寄せて修行するなどして過ごしました。
瀬戸内さんも“いろいろな事件を起こすたびにハラハラさせられますけど、出来の悪い子どもほど可愛いっていうでしょう”と語っていましたね。母性本能をくすぐる魅力がある人でした」(芸能レポーター)
ただ、萩原さんの仕事仲間やファン、そして親族も彼の死をゆっくりと悼むことはできなかった。容体が悪化して救急搬送された病院で息を引き取ると、翌日には火葬されたのである。
「亡くなった直後に神奈川県の鶴見で親族を含めて葬儀を行ったと報道されていますが、実際は都内ですぐに火葬されています。すべて冨田さんが執り行っており、萩原家側の親族は誰も立ち会えていません。葬儀がすべて終わってから報告があっただけでした」(前出・親族のひとり)
葬儀を急いだのは、萩原さん自身の意向だったという話もある。
「彼は3人目の妻と離婚する際に、金銭的なことでモメましたからね。その際、慰謝料で泥沼の裁判になり大変な目にあいました。交友関係も含めていろいろ不安があったようです。それで、妻が面倒に巻き込まれないよう、自分が死んだらすぐに葬儀をすませてしまうように指示していたそうです」(芸能プロ関係者)
間もなく一周忌を迎えるが、状況は変わっていない。そもそも冨田と結婚してから、萩原さんと親族との間に距離が生まれたという。
「冨田さんとは、'11年2月に箱根神社で結婚式を挙げたとき以来、会えていません。結婚以降は冨田さんが彼の面倒を見てくれていました。ずっと会っていないけど、よくやってくれたとありがたく思ってはいます。しかし、火葬にも葬儀にも立ち会えず、葬儀の報告後は何の連絡もありません。そのため彼の遺骨もお墓もどうなっているのか萩原家側は誰も知らないんです……」(別の親族)
萩原さんの地元・埼玉に今も住んでいる兄弟も「奥さん(冨田リカ)にすべてまかせています」とだけ、あきらめきったような声で週刊女性に話した。彼女は現在どんな生活を送っているのだろうか。