「今、本当にこれでいいのか」さえ言えない
「子どもも、子どもなりに考えているから、思いを聞いてほしい」
そう訴えるのは斎藤さとみさん(仮名=16)。新型コロナや、今なお残る放射能汚染を思うと、人々の健康より世界的イベントのほうが大事なのだろうかと疑問が湧く。
さとみさんは小学1年生で震災に遭い、一家で福島県から避難した。それから各地を転々としたが、地震のたびに当時の恐怖に襲われる。医師からはPTSDと診断された。今も心の傷は癒えず、服薬しながら学校生活を送る。
オリンピックでスポーツ選手が活躍し、盛り上がることはいいけれど、原発事故で苦しむ人、自分のように避難を続ける人がいるなかで「開催していいのかな」と思う。「東京オリンピック」なのに、聖火リレーは「福島」からスタートするのも不可解だ。
「復興しましたと世界にアピールしたいのかな。でも、まだ復興していないと思う」
今も一生懸命、廃炉作業をする方だっているのに、と原発作業員にも思いをはせる。
聖火リレーが行われることが最後に決定した双葉町は、3月4日に町の避難指示区域の一部が先行解除されたばかり。2月には、放射線量の確認をしないまま解除を決めていたことを朝日新聞が報じ、五輪に前のめりになる国の姿勢が露呈した。
郡山市の佐藤茂紀さん(56)は最近、リレーのコースとなる双葉駅周辺に行ってきた。
「きれいに整備された駅周辺だけを走るのは違和感がある。テレビで放映されれば、なんとなく“双葉町はOK”のイメージになるんだろう」
佐藤さんは、避難先からいつ帰るか、あるいは帰らないか、住民が真剣に悩んでいることを蔑(ないがし)ろにされているように感じている。報道も、「必死に除染をしたから、なんとか聖火リレーで走ることが可能になった」と伝えるべきではないかと思う。だが現実には、「復興五輪」という大号令だけが喧伝(けんでん)されている。
「帰りたい」「故郷を何とかしたい」と頑張っている人には、オリンピックはプラスになるのだろう。だから「『復興五輪』はおかしい」と言うのを佐藤さんはためらう。
「上からの圧力、原発事故に対する人々の考えの違い、判断材料となる情報の少なさで“今、本当にこれでいいのか”さえ言えない」(佐藤さん)
高校教師の佐藤さんには、かつての教え子に、富岡町から郡山市へ避難してきた生徒がいた。東日本大震災が起きた'11年3月11日、学校の教室にいたというその生徒は、あるとき、「机の上にノートを開きっぱなしで避難してきてしまった」と佐藤さんに明かした。そして、いつか帰る日がきたら、そのノートを閉じに学校に行きたい、と。
「元どおりになって、マスクもいらない、笑顔で帰れる状況になれば学校が開くはずだと、その生徒は言ったんです。そうした純粋な思いが踏みにじられ、ゆがめられているように思えてしかたない」
住民の命と健康を守るため、真っ先に考えるべき放射線量を確認しないで避難解除が決まり、ロボット産業の誘致など開発型の「復興」が浜通りを変貌させていく。これでは「元どおり」とは言い難い。教え子の願いを大切に思うからこそ、佐藤さんは憤る。