「ホームレスまで落ちたほうがラク」

 しかしながら、生活がどうにもならなくなり、「最後の一線」を超えていざ助けを求めた人が必ず支援を受けられるかというと、残念ながらそうではない。なんのセーフティネットにもかからないまま、路上生活を余儀なくされる人だって存在している。 

 いわゆる「ホームレス」を経験した人の中には「変に頑張るより、ホームレスまで落ちちゃったほうがラクだった」と話す人が少なからずいる。理由を尋ねてみると、背景には生活困窮者に対しての「段階的な支援の乏しさ」があることがわかった。 

 元ホームレスの男性は以前、働いていた会社から事実上の解雇を言い渡され、家賃を支払えなくなったために数年間、日雇いの仕事をしながらネットカフェを転々とする生活を送っていたという。しかし、持病が悪化したことにより思うように働けなくなり、路上生活せざるを得なくなった。

 彼は賃貸物件に住んでいたころに、知人のすすめで生活保護受給の相談のために役所を訪れたこともあった。しかし職員は「親族がいるなら、まずは親族援助を頼ってください」の一点張りで、結局のところ受給には至らなかったという。確かに男性には親族がいたが、すでに絶縁しており、金銭的な援助を受けられる可能性はほとんどゼロであった。

 男性が「ホームレスまで落ちちゃった方がラクだ」と言ったのは、言い換えれば「ネットカフェを転々としていた数年間よりも、それすらできなくなって路上生活をはじめてからのほうが支援を受けやすくなった」ということだ。

 路上で生活していると、支援団体やボランティアの人から声をかけられ食事の提供、生活物資の支給、住居を確保するための支援や就労支援を受けられることがある。こうした支援は公的機関によるものではなく、NPO法人などの民間団体によるものがほとんどだ。公的制度には、貧困に陥っている人への段階的な支援が充実しているとは言えない。だからこそ、この国では民間団体の支援に依存しがちなのが現状だ。

 ネットカフェやトランクルームや車など、生活に適さない劣悪な環境で飢えをしのぎながらその日暮らしをしていた「隠れ貧困」の数年間を考えれば、彼ら彼女らが「変に頑張るよりもホームレスになったほうがラクだった」と考えるのも納得がいく。

生活保護を受けるほど落ちぶれてはないんです」

 この言葉が、今も心を掴んで離さない。偏見や差別意識、葛藤、世間への後ろめたさ。いろいろな要素が、あまりにも複雑に作用しあって生まれた恐ろしい言葉だと思う。

「まだがんばれる、まだ大丈夫」

 そう言い続けて、突然、壊れてしまった人をたくさん見てきた。壊れてしまったものは、完全な元の姿には戻らない。

 自己責任とは、一体なんだろう。

吉川ばんび(よしかわ・ばんび)
'91年、兵庫県神戸市生まれ。自らの体験をもとに、貧困、格差問題、児童福祉やブラック企業など、数多くの社会問題について取材、執筆を行う。『文春オンライン』『東洋経済オンライン』『日刊SPA!』などでコラムも連載中。初の著者『年収100万円で生きる ー格差都市・東京の肉声ー』(扶桑社新書)が話題。