障害者としての劣等感で強く出れない
次に、裁判所が夫に対して妻子に接触するのを最長6か月間、禁止する命令(=接近禁止命令。DV防止法10条)を出すことができます。裁判所へ接近禁止命令の申立てをするには、前もって警察に相談する必要があります。理想をいえば現行犯がいいのですが、事件から2週間も経過していないので、事後報告でも警察が対応してくれる可能性があります。しかし、DVの被害を受けたばかりでトラウマを残す香苗さんが警察へ出向き、事情を説明し、被害届を提出するのは難易度が高いです。
香苗さんは「どうせ警官も夫の手玉に取られるに違いない」と言い、警察署へ足が遠のくばかり。そんな矢先に起こったのが7月上旬の九州地方の豪雨被害でした。
「こっちの警察の人も向こう(被災地)へ応援に行くのだと思います。私の個人的な事情に付き合ってもらうのは気が引けるんです。もともと私は昔から役所にお世話になりっぱなしのに……」
こうして香苗さんは警察へ相談しに行くことを断念したのです。障害者として支援を受けてきた劣等感が邪魔をして、香苗さんは強く出ることができませんでした。
家族が住んでいるのは夫が契約者の賃貸住宅ですが、それでも接近禁止命令を出してもらえば、夫を追い出すことができる可能性がありました。加害者は夫、被害者は妻なのだから当然といえば当然です。被害者である香苗さんが家を追われるのは筋違いですし、二次被害だといえるでしょう。
家を出たことで「見違えるように元気に」
結局のところ、夫を残したまま、香苗さんが家を出ることになったのです。紆余曲折はあったにせよ、香苗さんはせっかく2年間、勤めたスーパーを辞めざるをえなかったのですが、心配したのは自分より息子さんへの影響です。香苗さんの実家は同じ都道府県内だけれど別の市町村。そのため、香苗さんが息子さんを連れて実家に戻った場合、息子さんは中学校を転校しなければなりません。今まで住み慣れた家だけでなく、仲良くなった先生や友達、地域住民と別れなければなりません。
「俺のことはいいから」
息子さんが健気にそう言ってくれたので、香苗さんは決心がついたようです。夫のLINEに「今までありがとうございました。別々の人生を歩みましょう」とメッセージを残すと、夫が会社で働いている平日の昼間に荷物を運び出し、実家へ引っ越し、転校の手続を行ったのは7月中旬。
引越が完了すると香苗さんから近況報告のLINEがありました。「見違えるように元気になりました」とのことで、息子さんの脱毛斑は500円から100円硬貨大へと小さくなり、心身の回復を実感したそうです。そして近況報告のLINEは2通のみ。かつて1日40~50通もメッセージが届いたころと違い、香苗さん自身も回復しているのだと筆者は感じました。