なじめなかった“芸能界”の空気
それでも、'78年6月にデビューすると『勝手にシンドバッド』がいきなりヒット。
「3曲目の『いとしのエリー』のころは、ライブが終わった後に『ザ・ベストテン』の中継が入り、それから『オールナイトニッポン』の収録。帰って朝5時に寝て、すぐ6時に起きてサイパンへCM撮影。日本に帰ったら、そのまま会場でコンサートというアイドル並みのスケジュールに。
でも、初任給は5万円でした。『いとしのエリー』がヒットして、やっと11万円。“それはないよな”と、みんなで言い合って、どんどん上げてもらいましたけど(笑)」
『ザ・ベストテン』の常連になったが、出演するときは、なぜかコスプレ姿。
「コミックバンドの扱いでした。みんな“こんなはずじゃなかった”と思っていましたよ。ただ、お茶の間のことを考えれば、見てるほうは楽しければいい。だから“それでいいじゃん、頑張ろうね”って、励まし合っていました。’82年の『チャコの海岸物語』くらいまでは。
桑田はいかりや長介さんから“お前、面白いな、ドリフに入らないか?”って言われたみたい。桑田も“いやぁ~、マイッタよ”って(笑)」
デビュー前から学生バンドとしてインディーズ活動を続けていた彼らは、いざ飛び込んだ芸能界の空気にも、なかなかなじめなかったようだ。
「初めて『夜のヒットスタジオ』に出たとき、楽屋が1つしかない大部屋だったんです。そこで和田アキ子さんが俺たちを見て“彼らは何? 見学に来た人たち?”ってマネージャーに言っているのが聞こえてきた。俺らはライブハウス育ちだし、学生みたいな風貌だったから“ザ・芸能界”を違った目で見ていました」
ロックバンドも活躍していたが、サザンはその中でも異色の存在だった。
「ベストテンに初めて出たとき、楽屋に入ったら『ゴダイゴ』がいた。すごく貫禄があっておっかないんですよ。大先輩だし、ビクビクでした。ミッキー吉野さんはGS時代からいる人ですもん。
同世代だけど『世良公則&ツイスト』はカッコよかったね。向こうは正統派ロックバンドで、こっちは衣装がジョギングパンツ(笑)。桑田が宙づりにされて歌ったり、檻の中で歌ったりさ。世良クンにはそれがなかったでしょ」