何かを打ち壊す“パンクな姿勢”

『小泉放談』では、対談相手の元キャンディーズ・伊藤蘭が《今日子ちゃんは、アイドル時代からただ者ではないというか、明らかに他の人とは違う雰囲気を持って現れましたけど、最近は特に自分のことだけでなく、人のことをちゃんと見ていて、興味を持っているのが伝わってくる》と指摘。小泉も、それがプロデュース業につながっていると頷(うなず)く。

 この“ただ者でなさ”もキーワード。小泉が大人女子とやってみたいことを実行する雑誌の連載を単行本化した『小泉今日子実行委員会』('10年)内で、アパレルショップ『Katie(ケイティ)』を立ち上げた三井リンダは、コーディネートに際して《私は今日子さんに対していつも、あまり表面化されていない“小泉今日子のパンクカルチャー”なところを感じ取っていて》と言う。

『新・日本人論。』でも、'84年に小泉が当時の所属事務所・バーニングプロダクションに無断で刈り上げヘアにしたエピソードが掲載され、《人並みからはみ出す勇気》と賛辞が贈られている。バーニングの周防郁雄社長も、彼女については《「売れる」という確信があった》《偉ぶることなく幅広く誰とでもつき合える。人間的に素晴らしい女性ですよ》と絶賛していたことを、'16年に『週刊現代』が報じている。

 思えば、役者としての小泉は、型にとらわれないキャラクターがよく似合う。例えば、映画『踊る大捜査線 THE MOVE』('98年)で演じた、不気味な笑みが怖すぎる猟奇殺人鬼。『空中庭園』('05年)での、家庭内のルールに固執しながら実は自分がいちばんの秘密を抱えているという母親。前述の『トウキョウソナタ』で見せた、強盗犯と逃避行して“母親”という役回りから脱しようとする女性。彼女が演じる多くの役は、何かからはみ出し、壊すことで、観客に既存のものとは違った世界観や価値観、そして感情をつかませようとする。

 また、映画『毎日かあさん』('11)では、元パートナーの俳優・永瀬正敏と共演。かつて夫婦だった者同士の共演はこれまでも、なかったわけではない。しかし、離婚した夫婦が物語の中でも離婚するという内容が驚きだった。もともと、この作品は小泉のほうが先に出演が決まっており、製作サイドが小泉の了承をとって共演が実現。当たり前のようにNGが出そうなオファーだが、いい作品を作るためなら必然的な決断なのだろう。このあたりにも小泉の「型にとらわれないところ」が表れている。

 映像分野でも、昨今はコンプライアンスを意識しすぎて無難な企画が増えているなか、アイドル時代からいい意味で“何かを壊そう”としている小泉のアグレッシブな考え方は、業界に新しい風を吹かせることになるのではないか。そもそも『ソワレ』自体、登場する若者らが、自分たちの前に立ちはだかる壁を打ち砕こうとする物語だ。プロデューサーとしての小泉今日子が今後、何を打ち崩してくれるのか。期待したい。

(取材・文 田辺ユウキ)