「洗濯のストレスから解放された」
「私、気が早いのでアメリカに行く前に、代々木にケータリング用の物件を借りておいたんです。そこを使うことにしました」
店舗が決まったところで保健所に相談し、営業許可をとるための細かい条件もクリア。
チャレンジ塾で学んだ、「事業計画」も綿密に立てた。
「コインランドリーのレンタル料って、使った分だけ払うので、仕入れがあるカフェやアパレルと違って、低リスクの商売なんです。コインランドリーで家賃分を稼ぎ、経営を維持して、洗濯代行サービスを軌道に乗せていこうと」
内装はコインランドリーのイメージを打ち破り、海外のカフェ風にした。
「最初は、女性が入りやすい淡いピンクの色調にする案が出たけど、いやいや違うって却下したの。クリーニング屋さんのポスターって、ピンクのエプロンママがトレードマークですよね。それって洗濯は女の仕事って言ってるみたいで抵抗があったから」
コインランドリーにありがちな、『お忘れ物はございませんか』などの貼り紙も、いっさいしないことに決めた。
「せっかく受付カウンターに私やスタッフがいるんだから、お客さんとコミュニケーションをとって、そこから洗濯代行サービスを提案していきたかったんです」
日本初のサービスに、不安はなかった。それどころか、うまくいくと確信していた。
「カフェやアパレルの仕事は、憧れから入ったけど、洗濯代行は正直、ダサい仕事ですからね。憧れがないぶん冷静に伸びると判断できたんです。この仕事を私たちでカッコよくしていったら、必ずお客さんはつくって」
こうして、2005年にオープン。海外でのサービス名称、『WASH&FOLD』を、そのまま屋号にした。
覚悟していたものの、容易に客はつかなかった。
「チラシを配ったり、いろいろ宣伝したけど、反応は鈍かったですね。クリーニングの詰め放題と勘違いして、洗濯できないスーツが何着も入ってたり、旦那さんが奥さんにすすめても、『私の洗濯の仕方に不満があるの?』って怒られたという話を聞くこともありました」
しばらく赤字が続き、苦戦した。それでもコツコツと仕事を続けること2年──。
やがて、風向きが変わった。
「うちを利用してくれてたお客さんが新聞記者さんで、面白いサービスだからって記事にしてくれたんです。小さな記事だったけど、それから雑誌やテレビの取材が立て続けに入って。メディアの影響力ってすごいんです。紹介されるたびに、お客さんがどんどん増えていきました」
共働きの夫婦や独身男性を皮切りに、単身赴任者、高齢者、子育て中の主婦と、利用者のすそ野が広がった。
その多くはリピーターとなり、「洗濯のストレスから解放された」と口をそろえる。
「仕事から帰って、山のような洗濯物を取り込み、たたんでしまう。この作業がなくなって子どもとゆっくり夕飯を楽しめてます」(40代・女性)
「高層マンションで洗濯物が干せなくて利用したら、玄関まで取りに来てくれ、仕上がりも大満足」(50代・女性)
個人の顧客のほか、スポーツクラブやスパ、エステサロンのタオルやガウンの洗濯など、法人との契約も増えた。
店が軌道に乗ったところで、カフェを閉め、業務内容を洗濯業に一本化。以来、直営の支店に加え、フランチャイズの出店と規模を拡大した。
昨年の洗濯代行サービスの年商は、6億円にのぼる。
「一昨年の年商が8億円弱だったので、実は昨年は減収なんです。コロナの影響でイベントやスポーツ協会さんの仕事が減ったので」
それでも、山崎さんの表情は明るい。昨年4月の緊急事態宣言以来、個人の利用客が右肩上がりだからだ。
「リモートワークになって、共働きのご夫婦はもちろん、専業主婦の方も旦那さんに3食作らなくちゃいけないし、家事の負担が一気に増えたんですね。洗濯だけでも外に出そうという流れができたんだと思います」
洗濯は外注して、空いた時間で生活を豊かにする。新しい文化が根づきつつあると、手ごたえを感じている。
「『洗濯、まだ自分でしてるの?』って言える日が早くくるようにしたいですね。そのためにも、全国に店舗を増やし、5年くらいで、100店舗にするのが目標です」