足が速く、中学・高校と陸上部で主に400メートル走の選手だった。高校では引退試合が終わっても部に顔を出し、学校の事務員になってからも生徒と一緒に走って指導していたという。
「スポーツは何でも好きで、オリンピック中継によくかじりついていました。たぶん東京五輪では聖火ランナーを走りたがったでしょうね」と勝正さん。
唯一、苦手なのが水泳だった。
「なぜか宏規は泳げず、小学生のころ、プールで泳ぎを見たときはいかにも溺れそうで“もうやめて、もういいから”と、かわいそうで見ていられませんでした」(和子さん)
震災当日、南三陸防災対策庁舎に駆けつけた宏規さんは、
「県から来た村上です。遅くなってすいませんでした」
と挨拶したという。
ケーキは仏壇に半分、和子さんが半分
和子さんの手料理で好きだったのはコロッケ、ポテトサラダ、麻婆豆腐。ケーキにも目がなかった。
同庁舎に通って10年。ケーキや缶コーヒーなどのお供えものは鳥などに荒らされるので持ち帰らなければならない。ケーキは仏壇に半分、和子さんが半分。「私もケーキが好きなのでいつも半分こ、なんです」と和子さんは言う。
勝正さんが、
「頭では完全に亡くなっているとわかる。しかし、心の底では、どこからかフッと帰ってくるんでねえかな、と思う」
と言うと、
「だから片づけられないんですよね。もし、帰ってきたときに何もかもなくなっていたらかわいそうだから」
と和子さんがつけ加える。
取材の終わりに宏規さんの部屋を見せてもらった。壁には陸上部のユニホーム、大会出場時のパネル写真、色褪(あ)せたアイドルのポスター。その部屋は10年帰っていないとは思えないほどきれいに掃除されていた。
◎取材・文/渡辺高嗣(フリージャーナリスト)
〈PROFILE〉法曹界の専門紙『法律新聞』記者を経て、夕刊紙『内外タイムス』報道部で事件、政治、行政、流行などを取材。2010年2月より『週刊女性』で社会分野担当記者として取材・執筆する