自殺した息子の部屋を拭う母
その後も、事件現場清掃の仕事は、月に1度のペースで入ってきた。受ける理由はただひとつ。金を稼がなければならないからだった。
それでも、においだけは別だった。あの強烈な悪臭はどうやったら取れるのか、まったく見当もつかない。当時はまだ、事件現場の清掃を引き受けるときは、「汚れを取って、消毒はします。虫の始末もします。でも、においだけは消せません」と断りを入れていた。
しかし、そんな高江洲の気持ちを大きく揺さぶる出会いが訪れる。
現場は2階建てのアパートで、亡くなったのは若い男性だった。部屋に行くと、すでに片づけの作業が始まっていた。玄関の前に初老の女性がうつろな目をしてへたり込んでいる。そして荷物を運び出す業者に、何度も「すみませんでした、どうもすみませんでした」と言い続けている。故人の母親だった。遺体があった現場を見ると、フローリングに人型はあるものの、血液や体液などは残っていない。高江洲は、この女性がすべて拭き取ったのだと悟った。
そこへ、様子を見に来たアパートの大家が、激しい剣幕で女性を怒鳴りつけた。
「どうすんだよ! においが下の部屋まですんだよ! リフォームして入居者も決まっていたのに、お前のせがれのせいで契約も解除になっちまったじゃねぇか」
体液は、階下の天井にまで達していた。高江洲は大家さんをなだめ、「ここまでいくと、消毒だけではにおいは取れません。部屋全体をリフォームするしかない」と事実を伝えることしかできなかった。
この日初めて、自分の力不足を呪ったという。
「この悪臭の中、お母さんはどんな気持ちでひたすら自分の息子の一部を拭き取ったのだろう……と。汚れた両手を床にそろえ、頭を下げ続ける姿は、わが子に対する親の愛情そのものでした」
そこから、高江洲は、本格的に特殊清掃の勉強を始める。
どうやったら、汚れた部分だけを修復するリフォームが可能になるか、感染症を防げるだけの殺菌力を持ち、脱臭効果のある無害な除菌剤が作れるのか──。
その過程で、二酸化塩素が有効だという結論に至る。必死で取り扱う業者を探し、現場で使えるようになった。
こうした研究に1年近い時間とそれなりの費用がかかったが、効果は絶大だった。においを消し去るにはリフォームか解体しか策がなかった現場でも、この薬剤を噴霧するとうそのように悪臭が消えた。
高江洲は自信を持って現場に臨むことができ、仕事の依頼も増えていった。
ところが好事魔多し。仕事を斡旋してくれた社長から、「ご遺族や大家さんに特殊清掃の仕事を説明するために、技術や薬品を知っておきたい」と言われ、作業のマニュアルを手渡してしまう。すると、社長は自分の会社に特殊清掃の部門を作り新サービスを始めたのだ。多額の借金を抱えたうえに、仕事を奪われ高江洲はどん底を味わった。
それでも彼はめげなかった。ハウスクリーニングの会社の下部組織として、本格的に事件現場清掃を専門とした「事件現場清掃会社」を立ち上げた。以前のように斡旋ではなく、自分から営業をかけていく方針に変えたのだ。
そして、全国にいるリフォーム業者や内装業者、建設業者を募り、その中から確かな技術を持つ人材とパートナー契約を交わす、フランチャイズシップによる「事件現場清掃会社」を設立した。
沖縄時代、高江洲と小中高と一緒だった勢料厚司さん(50)は、高江洲が帰省するたびに会う旧友だ。
「昔はバイクを乗り回したり、ヤンチャだったけど、彼は普段から根は優しいところがあった。今の仕事も誰にでもできる仕事じゃない。本当に優しい人じゃないと続かないんじゃないかな。沖縄に帰ってくると、朝まで一緒に飲みます。『本当はこの仕事がないような世の中になればいいんだけど』と言ってました。仕事の話になると、だいぶ先を見てるなと感心しますね。いつも島から応援しています」