選択肢はいくつでもあると伝えたい
レスキュー・ハブの活動で、坂本さんはさまざまな女性たちに出会った。真冬なのに財布に1000円しかなく、家出しているので、ホテルにもネットカフェにも泊まれない。客に性病をうつされたが、健康保険証がない。彼氏からDVに遭っている。家賃が払えず、友人宅を転々としている……。
こうしたケースに、安いホテルをネット予約して宿泊の手配をしたり、病院を紹介したり、家賃を負担し部屋を明け渡すなどの対処をしたが、坂本さんが、自分だけでは解決できない事案も当然ある。そのひとつが、「望まない妊娠」の問題だ。
坂本さんが出会った20代のある女性は、もう堕胎できる時期を過ぎていたのに、健康保険証も母子手帳もなかった。お腹の子どもの父親である彼氏とは、とうに別れていた。産んだとしても、育てるのか、特別養子縁組に出すのかも決まっていない。
坂本さんはすぐに、NPO法人『10代・20代の妊娠SOS新宿─キッズ&ファミリー』(以下、妊娠SOS新宿)に連絡を入れた。
妊娠SOS新宿は'16年に法人格を取った比較的新しい組織だが、相談員11人が24時間体制で相談を受け、'16年12月から'21年3月末まで1088人の妊娠に関する相談に応じてきた実績をもつ。そのほとんどが10代~20代前半までの女性からで、電話やLINEで相談を受け、その後、直接会っての支援につなげている。
活動の基本は「本人が決める」こと。佐藤初美理事長はこう説明する。
「望まない妊娠をしても、そこから先の行動を私たちはいっさい指示しません。産んでも、産まなくても、産んだ後に自分で育てるのも、特別養子縁組に出すのも、そのメリットとデメリットの両方を説明して、あとは女性たちが自分で決めます。
なぜなら、どの子にも自分で決める力があるからです。もちろん、決めてもらうだけではない。私たちは“産んでも、こういうサポートがあるから安心してね”と、その子が出した結論を尊重し自立できるまで寄り添います」
坂本さんも言っていたことだが、相談してくる女性の多くに共通するのは「どうせ私なんか」といった自己否定感だという。夢や希望を持ってはいけない人間なんだとあきらめている。妊娠SOS新宿では、出会った女性たちを「肯定」することから始める。「相談してくれてありがとう」と。リストカットした女性が「私、生きててよかったの?」とたずねても、「そうだよ!」とその存在を認める。
実務面でも、高校に在籍している女性は退学させずに、親も学校も絡めて卒業させる。もし退学していれば、もちろん本人が「決めた」うえで高卒認定試験の受験にまでもっていく。掃除や料理の家事を教わっていない女性には、一緒に買い物したり、料理を教える。収入に恵まれない女性にはフードバンクなどを利用して、自転車で食料を届ける。本人さえその気であれば、時間をかけて若者ハローワークに同行して昼間の仕事を選ぶ。
そして、坂本さんの活動とも通底するのが、「待つ」だけの活動ではないことだ。
「なかには、自立の途上でまた生活が崩れる子もいます。でも、長く関わっていると、そろそろあの子が危ないってわかるんですね。そういうときは、こちらから連絡します。すると“よかった。連絡しようと思っていたの”との反応があり、また新たな支援を組みます」
この点において、佐藤理事長は、こちらから手を伸ばし続ける坂本さんを評価する。
「今、歌舞伎町の女性にとって、自分たちに寄り添う坂本さんは、“見返りを求めない”“安心のできる”男性です。女性にとって、妊娠はどうにもならない問題。でも、いま目の前にいる人が、本当に信用できるかを見る力はある。そういう意味では坂本さんは市民権を得たと思います」
ただし、と佐藤理事長は続けた。
「坂本さんは、私たちのようなソーシャルワークや、個人を行政につなぐスキルはまだ十分ではない。一緒に母子手帳を取りに行ったときも“こうやって取得するんですね”と感心していました。私たちも以前は歌舞伎町の夜回りをしていましたが、今はそれほど頻繁に回れない。だから互いに連携すればいいんです」
これはまさしく坂本さんの望むところだ。
坂本さんには目標がある。まず、近い将来、歌舞伎町に、性産業に従事する女性たちが気軽に立ち寄れる居場所をつくることだ。
「特に、(直引き売春のため路上に)立っている子たちにはトイレの問題もあるし、のども渇くし、お腹もすく。僕は、トイレや軽食、携帯電話の充電器、休憩ソファなどを用意して、いつでも女性たちが気軽に立ち寄れる場所をつくりたいんです。そのために必要な資金も、東京都の助成金をはじめ、企業や個人からの寄付により集めていきたいと思っています」
そして、最終的に目指したいことは、選択肢を女性たちに用意することだ。
「歌舞伎町で性産業に従事する女性たちは、その仕事を知られたくないので、必要最低限の人以外とのつながりを絶ち、夜の世界だけで生きていきます。それを3年もやっていると“私はいいの、これで”と思ってしまって、もう昼の仕事には戻れなくなる。
でも、それ以外の道がいくつもあることを示したい。そのうえで、自分が望む将来をみずから選択し、新しい人生を歩き始めてもらえたらと考えています」
ジャーナリスト。1989年より執筆活動を開始。国内外の社会問題について精力的に取材を続けている。『悪夢の超特急 リニア中央新幹線』(旬報社)が第58回日本ジャーナリスト会議賞を受賞
《撮影/吉岡竜紀》