お客さま第一へのこだわり
家に帰れば、“漫才夫婦のボケ役”、そんな宗次さんの経営者としての一面を証言する人がいる。19歳でココイチ1号店に従事し、後に同社の社長を務め、現在は取締役会長である浜島俊哉さん(62)だ。
「(サービスでも売り上げでも)自分のこだわりを部下が理解し、実践しないと気がすまない。自分の考えが100%で、それ以外は全部排除。唯我独尊どころの話じゃない。代表権を持っていたころはそんな感じです。働く社員たちへの責任を感じていればこそ、だと思いますが」
中村さんも、現役時代の宗次さんの自覚と責任感をこんなふうに言う。
「お客さまのアンケートハガキを読んでいてこれは捨て置けないというコメントを読むと、“出かけてくる”と店に行きかける。10分後に来客の予定が入っていても、です。アンケートハガキを読んでいるとワナワナして、店への怒りが伝わってくる。お客さま第一へのこだわりがすごいんです」
顧客第一、そして店へのこだわりは妥協を許さない。
その厳しさは社員だけでなく、自分自身にも向けられている。
毎朝3時55分に起床して、1日も休まず本部の周りを掃除。指導に出かけた店の駐車場にゴミでもあれば、指示より先に自分で拾う。社長みずからのゴミ拾いに、店長が真っ青な顔で慌てて飛び出してくることも珍しくなかったという。
現在の穏やかな佇まいからは想像もできない、仕事の鬼──。
それもまた、まぎれもない宗次さんの一面であった。
「量と辛さはお好みで」が大反響
さて、ココイチ成功の秘密を語るとき、画期的だった“ライスと辛さはお好みで”というカスタマイズ制ははずせない。子ども向けの甘口から“口中ボーボー、3口でシャックリが始まる”という1辛、超激辛の10辛まで選べる自由度である。
ほかにも話題を集めた名企画があった。標準量の4皿以上、1300グラムのジャンボカレーを20分以内で食べきったら、お代はタダというものだ。
これが口コミで大評判となり、挑戦者ばかりかマスコミまでが大挙して押しかけ大いに宣伝効果を発揮した。
こうした追い風を背景に、4号店出店とほぼ当時にフランチャイズ制を導入。翌1981年には独立志望の人たちを社員として迎え、店長として最短2年間の経験を積んでもらった後に独立開業を後押しする『ブルームシステム』をスタート。
この“のれん分け制度”によって、多くの人たちが独立、全国にココイチチェーン網を構築する原動力となる。
創業20年目にあたる1998年には500店舗を達成。同時に直美さんが社長となり、宗次さんは会長となる。その勢いのもと、2000年にはジャスダックでの株式公開を果たした。