「80歳を過ぎてようやく靴磨きの仕事が好きになった。どんな仕事でも“嫌だな、大変だな”と思ったら、お客さんはいらっしゃらない。楽しいって思うとお客さんが来る。仕事は好き、楽しいと思うことが大事ね」
そう話すのはJR新橋駅前で50年もの間、路上靴磨きを続けてきた中村幸子さん(89)。
雑踏を見つめながらその一角に小さく座り込み、靴を磨きながら変わりゆく街と人を見つめてきた。
露天商売の代名詞だった「靴磨き」
「路上靴磨き」とは露天商売のひとつ。昭和50年代ごろまで舗装されていない道路も多く、土で靴が汚れやすかったため、路上靴磨きはなくてはならない商売だった。
終戦直後、戦災孤児が東京駅や上野、新橋など駅のガード下で仕事として靴磨きをしていた光景をイメージする人もいるだろう。映画や歌でもたびたび登場し、昨年亡くなった女優で歌手の宮城まり子さんの『ガード下の靴みがき』は大ヒットした。
靴磨きは戦災孤児や女性たちの多くが選ぶ仕事だった。
新橋駅にもかつては何十人も路上靴磨きが集まり、所せましと並んでいたが、今は中村さんただ1人。
路上靴磨きは行政への届け出制だが、現在は新規で受け付けていないため、もはや消えゆく商売なのだ。
中村さんは客席としても使う手押しのカートに商売道具を詰め、月曜から金曜まで足立区の自宅から約1時間かけて新橋まで通っている。
店を開くのは同駅SL広場の一画。時折、常連らしき人々が通りかかっては気さくに声をかけていく。
広場に中村さんがいないと、近くの交番に声をかける人がいるほどの人気ぶりなのだ。
「(休み明けに)“おばさんどうしちゃったの?”“死んじゃったんじゃないよね”って聞きに来たお客さんがいたよ、っておまわりさんが教えてくれるの」
と中村さんは笑う。
「“いないと困るよ”ってみなさんに認めてもらえてるから、一生懸命やらないとね」
そんなことを話していると早速、お客さんがやってきた。
スーツ姿の男性が中村さんの前の椅子に座り、右足を足置き場に差し出した。
すると中村さんは布やブラシで軽い汚れを手早く落とす。次に6種類ほどの靴墨の中からお客さんの靴の色に合うものを直接指にとり、丁寧に靴全体に塗り込むようにのばしていく。
最後に布で丁寧にこすり、光沢を出すまでが一連の流れ。両足合わせてわずか15分ほどですっかりきれいになった。
すべて手作業。指先がカットされている手袋からのぞく真っ黒な指先で、靴を美しくよみがえらせる魔法をかける。