目次
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ー プロジェクト発足の経緯
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ー 千羽鶴を使用するメーカーの声
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ー 「次の世代へ継承したい」

 8月6日、広島に原爆が投下されたあの日から77年。広島平和記念公園には今も年間約1000万羽の折り鶴が、人々の思いと祈りをのせて送られてくるという。しかし、日本全国、海外からも届く折り鶴の「その後」については、あまり語られていない。

 今から10年前の2012年のこと。広島平和記念資料館の入館者総数は約128万人。その約4分の1にあたる31万4000人が修学旅行などの平和学習で訪れる子どもたちで、多くは事前に平和について学び、みんなで作った千羽鶴を持参して、広島を訪れる。この千羽鶴をただ保管するだけではなく、未来につなげることはできないか。そんな思いのもとスタートしたのが、折り鶴での再生紙プロジェクト「折り鶴プロジェクト」だ。

プロジェクト発足の経緯

「プロジェクト以前の折り鶴は、1、2か月飾られたあと倉庫で保管されていました。その折り鶴を使って何かできないか、というのは随分前からの懸案で、市民アンケートもとっています。そのなかで多かったのが、再生紙として利用するという案でした」

 こう話すのは(株)クラウン・パッケージ広報室室長の八木野徹さんだ。クラウン・パッケージはプロジェクトに参加し、折り鶴を美しい再生紙「カラフルウイッシュR」として社会に循環させる取り組みをしている。

「平和記念公園の折り鶴は、もともと佐々木禎子さんという1人の女の子から始まりました。1943年に生まれ、2歳で被爆した禎子さんが『折り鶴を折れば元気になれるだろう』と入院中に願いを込めたのが、千羽鶴でした。それ以来、広島では特別な意味を持つようになったのです」(八木野さん、以下同)

 2014年、広島市内にある紙容器製造販売業・トモエ株式会社の高丸晃会長が発起人となり、プロジェクトは本格的に始動。禎子さんと同じ年に生まれた高丸会長にとって、折り鶴は平和のシンボルだけではない、大きな意味を持つもの。その思いにクラウン・パッケージも賛同したという。

「以前から弊社では、ポテトを揚げる際に使われるパーム油の搾りかすや、お茶殻、七夕で使い終わった笹を搾ったものなど、いままで処分していたもので新たな紙を作っていました。こういう材料をうちでは『未利用資源』と、ちょっとカッコよく呼んでいるんですが(笑)。これまで会社でやってきたことを折り鶴でもできないか?とお話をいただけたときは、折り鶴にかける皆さんの思いに感動しましたし、やりがいを感じました」