高等科時代には馬術部のチームメートだったおふたり。大学以降は別々の道を歩むも、ご交流は続いた。
「上皇さまの皇太子時代は、休日をご一緒に過ごし、頻繁に馬術のお供をしました。多い年には年間40回、お住まいの東宮御所に伺いました」
天皇に即位されてからは、上皇さまは「けがをして、自分の責務に支障が生じれば、国民や国家に申し訳ない」と乗馬をおやめに。
しかし、明石さんのことは気の置けないご学友として、その後も頼りにされたという。
「怒っていることを示したかった」
「'16年8月、上皇さまは実質的に生前退位の意向を表明するビデオメッセージを公表されましたが、私はその約2週間前にお電話を頂戴しました。私が学友としてマスコミの取材を受けることを踏まえられたのか、“誤った情報を伝えてほしくないので、明石には自分の考えを知っておいてほしい”というニュアンスだったと思います」
生前退位のご意向を事前に打ち明けるほどの固い信頼関係に、いったい何があったのか─。
「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の'19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」
明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。
「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。
その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」
眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。
「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」
'59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。