先天性脳性麻痺の姉が自殺
一人前の漁師となった後も、深夜2時3時まで葉山海岸通りにあるカフェで働き、朝は5時起きで漁に出た。過酷な生活を送るうち、晶さんはいつしか不眠症に悩まされるようになっていた。
「お酒や睡眠導入剤を飲んでも、明け方近くに少しまどろむくらいしか眠れない。身体は疲れていても『もっと頑張んなきゃ』『もっと働かなきゃ』といった思いが胸を締めつける。これまでやりたいことは、自分で勝手に決め、人の顔色なんてうかがったこともなかったのに。ものすごく気になりだして、そんな時期が1年くらい続きました」
夜遅くまでカフェで働くため、ほかの漁師に比べるとどうしても海に出る時間が遅くなってしまう。
そんな晶さんの生活態度を見て、漁師仲間から「あいつは遅ぇ」と陰で言われていることも知っていた。
当時の晶さんには、「もっと頑張んなきゃ!」と自分を追い込んでしまう根深い理由があった。
先天性脳性麻痺の姉の存在である。晶さんは躊躇いがちに、ポツリポツリと言葉をつないだ。
「実は、私が四郎さんに弟子入りをお願いした同じ日の夜……ひとつ上の姉が自殺してしまったんです」
その日の午前中、姉から携帯に着信があった。気になって姉のアパートの前まで行ったものの、前日ケンカ別れしたばかり。またケンカになるのが嫌で、引き返したという。その後も着信があるたびに晶さんはかけ直したが、姉は電話に出ない。
夜10時ごろ、バイト中の晶さんに母から電話が入り、慌てて病院に向かうが、帰らぬ人となっていた。
「雨が降っていたんです。寒いのに、病院に向かう道中バイクを走らせていたら、背中だけ急に温かくなって……、もしかして……って。
後日、姉のパソコンの履歴を調べると、『死に方』を検索した形跡が残っていました。もし、姉の家に行っていたら、もし、あの電話に出ていたら……。何か変わっていたのかな。姉は死ななかったんじゃないかな……」
そういった後悔の念が晶さんの中で、繰り返し甦る。
もともと姉は病気のために機敏に動くことができず、アルバイトをしても、人とうまく付き合えないことに苦しみ、家に閉じこもりがちだった。そんな姉を晶さんは度々、外に連れ出していた。
「姉は葉山でオーガニックコットンの畑をやって、自分の服を作りたいという夢を持っていました。そんな姉の夢を応援したくて、葉山で行われた環境のイベントに誘って、地元の人たちに紹介したりもしました。でも、今思えば、それも身勝手なひとりよがりだったのかと、考えてしまって……」
時折、うつ症状にも陥り、姉は「連れ回さないでほしい」と怒りを爆発させることがあった。それでも、根は優しい姉だったと晶さんは言う。
「姉は人付き合いや身体のことで悩んでいたから、あまり自分の悩み相談はしないようにしてきました。気を使いすぎてきたのかな……。でも、ある日ぽろっと悩みを相談してしまったことがあって。そのとき、姉はメールで『レッツ・ポジティブ・シンキングだよ!』とメッセージを送ってくれました。今でも、嫌なことがあると、この言葉を思い出してはつぶやいています。
姉は病気で満足にやりたいこともできなかった。でも、私は手も足も自由にできる。だから、もっと頑張んなきゃ、そう思ってしまうんです」
母の能里子さんが言う。
「家族みんなが一生背負っていかなければならないことです。特に晶にとっては、ひとつ上の姉。だから人一倍、あの子の分まで頑張ろうという思いがどこかにあるんだと思います」