「結婚は、反対だよ」
2005年3月、篠原の結婚情報をキャッチした『週刊女性』が訪れていたのが、群馬県桐生市にある彼女の実家。
篠原のポスターがいたる所に貼られた玄関。室内まで通してくれた勝雄さんは、愛娘の活躍ぶりには目を細めて嬉しそうに話すも、市村との結婚については頑なに口を閉ざしていた。ところが、長い沈黙を破って《結婚は、反対だよ》とこぼしたのだった。
その理由を《まだ時期じゃない》と答えると、続けて堰(せき)を切ったように思いを明かし始めたのだった。
《やっぱり市村さんの年齢がちょっとね……。世間から見れば“年齢の差なんて”っていうかもしれないけど、いざ自分の娘のことになるとね……。25歳も離れてるんだよ。あと10年もすれば、今の自分と同じくらいになっているんだよ》
勝雄さんとは10歳と違わない市村。「娘さんをください」と挨拶に来た彼のことは《男としてはしっかりした方だし、人間的にも誠実》と評しながらも、それでも夫婦となる行末には不安を覚えていたようだ。
《今はまだふたりともアツアツだし、お互い、周りが見えてないよ。結婚して2〜3年はいいかもしれないけど、先々のことを考えるとね。やっぱり、反対だな》
改めて“反対”を主張していたが、結局は《最後には認めざるを得ないでしょう》と娘の気持ちを慮り、そして自身は体調を崩して入退院を繰り返していることも明かしていた。
早くに妻を亡くし、幼かった子どもたちを男手ひとつで育てた勝雄さん。パートナーに先立たれる気持ちと大変さを知っていただけに、「24歳差」を案じて娘を思って反対していたのだろう。
「それでも2008年に孫が生まれると、それはもう可愛がり、市村さんへの信頼も厚くなっていたそう。そして2010年に5年越しの披露宴を開くと、その3日後に勝雄さんは亡くなったのです。花嫁姿を見届けて、涼子ちゃんの幸せを願って眠りについたのでしょう。
ただ、結局は勝雄さんが心配した通りの結果になってはしまいましたが……」(前出・芸能ライター)
そんな夫婦の破綻を招いた原因は「やはり歳の差にあったのでは」と、指摘するのはテレビ局プロデューサー。
「ドラマの役柄の影響もあってか“デキる大人のオンナ”というイメージがありますが、本来の涼子ちゃんは奔放でどこか“隙”を感じさせる女性。独身時代は異性へのスキンシップも多く、勘違いしてしまう共演者やスタッフも結構いましたよ。
今年で48歳になるとはいえ、まだまだ魅力的で女盛り。市村さんのことは俳優として尊敬できても、もう“男”として見ることができなくなったのかも。これも年の差婚の“弊害”とも言えますが……」
亡き父への報告はもう済ませたのだろうか。