プロデュースするのは小室哲哉。鈴木はアメリカのロサンゼルスに住んでいた彼に会いに行くことに。
「海外に行くのは初めてで、なぜか機内用にスリッパを持っていきました。10時間くらいかかると聞いていたので、“あ、スリッパがいるな”と(笑)」
そのころ、小室はアルバムの制作中。タイミングが合わなければ、会えずにとんぼ返りするかもしれないと聞かされていた。
「急に“今から会いに行くよ”と呼ばれたときは、それまでにない緊張がありました。“おめでとうございます”と言っていただいた後はどんなことを話したか覚えていないんです。最後に“本当にデビューできるんですか?”と聞いたら、“デビューは約束する”と言っていただいて。“これを聞けただけでもう大丈夫、日本に帰れる”とひと安心しました。
声が聴きたいと言われて、宮沢りえさんの『NO TITLIST』と観月ありささんの『TOO SHY SHY BOY!』を歌うと、“シャキシャキしている声だね”と。隣に座ってゆっくり話をしてくれたので、“この人に頼ろう”と思えました」
「小室さんからの手紙」
1998年に『love the island』でデビューすると一躍人気アイドルに。翌年の『BE TOGETHER』で初のオリコン1位を獲得。
「私は日本で、小室さんはLA。お会いできるのは、年末の番組などの限られた機会だけでした。『BE TOGETHER』の次にリリースした『OUR DAYS』は、“亜美を想像してすごくいい曲ができたんだ”とメッセージをくださったんです。“急にふと、亜美、頑張っているかなって思ったんだよ”とピアノを弾いて、作ってくださったそう。歌詞はまるで手紙のようで、“小室さんからの手紙”だと思った、思い入れがある曲です。遠くにいる兄が妹を思うような内容で、歌うといつも泣きそうになります」
『ASAYAN』では、同じ年にデビューしたモーニング娘。と対決する企画も。
「私も、モー娘。のメンバーもバチバチした感じではなかったですね。忙しかったので、目の前のことに精一杯だったと思います。でも、対決が終わったときは、ほっとしました。ファンの人の応援を感じて、ありがたいなあという気持ちでいました」