現在、テレビやSNSで話題となっている「親ガチャ」というワード。この週末にはワイドショーなどでも特集が組まれ、芸能人たちも巻き込んだ、さまざまな“論争”を巻き起こしています。その「親ガチャ」をどう捉えるか。これまでさまざまな家族の形を取材してきたノンフィクションライターの大塚玲子さんに聞きました。
「親ガチャ」という強烈ワード
最近にわかに浮上したワード「親ガチャ」。言葉自体は、そう新しいものではありません。Webサイト“実用日本語表現辞典”に「親ガチャ」が登録されたのは2017年12月ですから、遅くとも4年前には、すでにある程度広まっていたはずです。それが今月、あるネット記事をきっかけに注目を集め、ホットワードとなりました。
当初「親ガチャ」は、主に毒親や虐待親をもつ子どもたちが、「好きでその親のもとに生まれてきたわけではない」といったことを表現する意味合いで使われていました。でも今回は、もう少し広い意味合いで、「親の経済力など、家庭環境によって子どもの人生が左右されること全般」を「親ガチャ」と言っているようです。
もちろんどちらの使い方も間違っているわけではありません。どちらの意味合いの「親ガチャ」も、あるだろうなと感じます。
まずは前者、自分を傷つけてくる親をもつ子どもたちにとっての「親ガチャ」について。こちらはある種、子どもたちにとって「救い」になっているように思います。
筆者はよく取材で、親に苦しめられてきた人に話を聞かせてもらいます。「虐待」としか言いようのない仕打ちを受けてきた人もいれば、借金やDV、精神疾患、逸脱行動などが見られる親から、深い傷を受けてきた人たちも、大勢います。
この人たちは、しばしば自分を責めていることがあります。「親から愛されなかったのは自分のせい」と感じ、どれほど問題のある親でも「自分の親なんだから、愛さねば」と思い、でもその親を愛せない自分に罪悪感を抱き、苦しんでいることがあるのです。
親から電話がかかってくるだけでも、しばらく寝込むほど具合が悪くなってしまう。着信拒否したいのに、それができない。
周囲に借金を繰り返す親に、お金を渡し続けてしまう。「もうやめたい」と思いながらも、連絡が来ると、つい応えてしまう。
きょうだいのなかで一人、親から虐げられることに深く傷ついている。でもそれを自分のせいだと思い、自傷を繰り返してしまう。
そういった人に会うと筆者はいつも「いいよ、もう全然気にしなくて!」と、肩をゆさゆさしたくなります。そんな親のもとに生まれた、たどりついたのは偶然、たまたまであって、子どもには何の責任はないのだから、距離をとってもいいし、縁を切ってもいい。それで罪悪感を持つ必要など1ミリもないんだからと。
「親ガチャ」という言葉は、たった4文字でそれを伝えられます。この言葉に救われている人は、きっと多いでしょう。