「心の車いす」を作りたい
高校卒業後、吉藤さんは香川県の国立詫間電波工業高等専門学校(現・香川高専)4年生に編入。人工知能開発の勉強を始めたが、しっくりこない。研究は面白かったが、「話し相手になる人工知能を開発しても、孤独は解消できないのでは?」と疑問が湧いてきた。編入して半年ほどしかたっていないころだ。
そんなとき、1本の電話で新しい道がひらく。JSECのプロデューサー、渡邊さんからの電話だった。
「JSECの歴代優勝者が早稲田大学のAO入試を受けられる制度ができた。吉藤くん、その制度の第1号にならないか。早稲田向いてると思うよ」
大学進学など考えたことがないから一度は断ったが、もう一度電話があり、心は決まった。高専を1年足らずで中退して東京へ向かった。
早稲田大学の面接の後、渡邊さんと『JSEC2006』を見学に行った。その年の優勝者は高校1年生。のちに株式会社オリィ研究所を起業するきっかけを作り、共同創設者となる結城明姫さん(30)だ。授賞式終了後、結城さんの前に吉藤さんが颯爽と現れた。異様な空気を醸し出し、全身黒ずくめの男性がまっすぐに近づいてくる。
「優勝おめでとうございます。JSECのOBで、2年前に車いすの研究をしていた者です。JSEC同窓会という形でOBやOGが集まる場を企画していますので、よかったら入ってくださいね」
結城さんは女子校育ち。吉藤さんのいでたちのインパクトの強さに驚いた。
「紫色のタートルネックに、初代“黒い白衣”をなびかせて、怪しさ満点でした。JSECは個性の強い人がたくさん集まっていますが、その中でも飛び抜けていましたね。あれは確か冬だったけれど、その後も吉藤は一年中あの“黒い白衣”を着ています(笑)」
「黒い白衣」は吉藤さんのオリジナルデザインで、今やトレードマークとなっている。
結城さんも優勝後、世界大会に出場予定だった。しかし、世界大会前の強化合宿直前に結核が判明。3か月間、結核専門病院に隔離された。
「日常生活は一変しました。世界大会はもちろん、学校にも行けない。何より家にも帰れない。友人もお見舞いに来られない。本当に孤独な時間でした」(結城さん)
翌年、結城さんは再びJSECで優勝。JSEC同窓会にも所属し、定例となる屋久島キャンプ運営の主要なメンバーとなっていった。
2009年、夏の屋久島。海辺のキャンプ場で天体観測をしながら、吉藤さんは結城さんを含む仲間たちに分身ロボットのコンセプトを話した。
「コンセプトは『心の車いす』。病気やけがで身体を運ぶことができない人が、実際にそこにいるような感覚を本人も周りの人も味わえるような、分身ロボットを作りたいんだ」
それまで、誰にも理解を得られなかったが、結城さんは誰よりも強い関心を示した。
「それ、私が入院中に欲しかった。結核で療養中、分身ロボットがあればできることがたくさんあった。私と同じ思いをしている子どもたちにとっても、いつか私がまた病気になって入院したときも、すごく意味がある。その研究開発、一緒にやっていきたい!」
見上げると、頭上には今にも降りだしそうな星空が広がっていた。肉眼で天の川がはっきりと見えていた。
ロボットの名前は、「OriHime」。織姫と彦星が天の川を挟んで会うように、「離れていても会いたい人に会えるように」という願いを込めた。