ライバル社も仲間にする方法
同業他社は、一般家庭などから不用品を買い取るので、どうしても経費はかかるが、この「堀之内方式」であれば、経費は格安。他社の半額にしても儲けが出るため、生活創庫の評判は口コミで広まった。
そのころ、大口の顧客が現れる。浜松市内の、ある人材派遣会社だ。従業員寮に必要な家電一式を探していた。そのとき安く家電製品を調達できる生活創庫の評判を聞いた。照明器具、テレビ、冷蔵庫、炊飯器、洗濯機などを10セット発注した。この派遣会社社長の娘Bさん(50代)は、当時のことを覚えている。
「ほかの中古品店だと、10台欲しいと言っても店に3台しかなければそれっきり。でも堀之内さんは、足りない7台を必ずかき集めてきてくれるんです。自社の在庫で足りない場合には、同業他社から買ったり、それでも集まらなければディスカウントストアで買うこともありました。損してでも次の発注をもらったほうが得と考えたんでしょう。発注する側としては生活創庫に頼めば、いろんな店に頼む必要がなく楽なんです」
生活創庫は通常、他社よりも安く売る。同業他社が嫌がらせをして売ってくれないことはなかったのだろうか。堀之内さんが言う。
「ありません。私は修理などの技術があるものだから、同業の店の商品も修理してあげていました。メーカーに修理を頼むより安いですから」
ギブ・アンド・テイク。市内の中古品店との関係はバッチリ築いていたのだ。
前記の派遣会社は大口の取引先だったので、よく会社に堀之内さんが現れたという。Bさんによれば、当時の堀之内さんのファッションと車は衝撃的だったという。
「ケミカルウォッシュのジーンズにタンクトップ、そしてスリッパ。本当にスリッパなんですよ、トイレなんかにあるビニール製のあれ。あと愛車が軽トラックで、助手席の足を置くところに穴があいていました。私たち、彼のことを“キューちゃん”と呼んでたんですけど、ほんとにお金がなかったんだと思います」
それでも、堀之内さんはこの商売は「超面白い、最高だ」と思っていた。
「なぜって、飽きないから。毎日違う商品を修理できてそれを売る。機械いじりが好きな私にとっては仕事をしている感覚なんてないですから。遊びに近い感覚です」
しかし困ったことはあった。資金繰りだ。中古品の買い取りはすべて現金払いだった。口コミで発注が多くなると、それに応えたいから仕入れる数も多くなる。するとそれ相応の資金が必要だった。しかし銀行はお金を貸してくれない。Bさんが続ける。
「私の母にも借りていましたね。私が初めてもらった20万円ほどのボーナスさえも貸してくれって家に来ました。だから相当、いろんなところから借りていたと思いますね。ふつうお金なんてみんな貸さないんだけど、堀之内さんに貸すのは、あのキャラクターかな。憎めないんです。それに借りたら必ず返すから」
店を開店してから2年もたつと店が手狭になり、80坪という、浜松市内でもトップクラスの大規模店をオープンした。'90年のことだ。そこで目標にしたのは、年商1億円。当時社員は6人。かなり難しい目標のように思われるが、わずか2年で達成した。
それにしても、なぜこれほど売れたのか。
まず前記したように必死で発注者の要望に応えたこと。
また、昔ながらの野暮ったい中古品店のイメージを一新し、明るい店にしたことだ。
「以前は値札がついていなかったり、接客もなっていなかったりする店が少なくなかった。そこで女性が子ども連れで気軽に来られるような店にしよう、丁寧に挨拶をして接客もちゃんとしようとしたのです。いまでも挨拶を怠った社員はクビですから!」
さらに品質管理。冒頭でも書いたが、中古品を整備してきれいにして売る。専門の技術者を雇い、電気製品別に専門の工場もつくった。
もうひとつは売り方。堀之内さんが例としてあげたのは、使って短くなった鉛筆。1本だけだと誰も買わないけど、いろんな種類の鉛筆を100本集めたら売れる。なぜかといえば、面白いから。実用として売れるのではなく面白いから。
使い捨ての割り箸でも、使っていないものならば、1本ならば売れないが、束にしたら売れる。工作に使ったり、園芸の副え木として使ったりするのだという。
「売れない商品はない。売るための工夫さえすればいい」
これを鉄則にしたからだ。