切り捨てない人間関係
実は、人間関係も決して切り捨てないのが特徴だ。
取締役の安西さん(前出)によれば、過去にソリが合わずに辞めていった社員であっても、会えば「元気か」と声をかけたりするのだという。
「会社を大きくするには、いろんな人に支えられてきているので、人とのつながりを大事にするということが身に染みているんでしょうね」
その生き方は、プライベートにも及ぶ。
いまは浜松に一緒に出てきた女性と結婚生活を営んでいるが、堀之内さんには最初の妻との間にも2人の子どもがいる。そのうち息子・健吾さん(前出)は創庫生活館で働いている。健吾さんは言う。
「私が20代のころ、鹿児島にフランチャイズ店がオープンしたときに父に久々に会ったんです。私が勤めていた会社が連鎖倒産した後だったので、父親の会社で働いてみようかなと。
母親は『(テレビで放送されているのは)本当かどうかわからないよ』と言っていましたけどね。父親に行くよと言ったら、すごい喜んでくれました」
わだかまりは、「なくはないです」という。
「運転免許を取っていざ車をローンで買おうとしたら、ブラックリストに載っていて買えなかったですから。父親が地元で商売していたとき、私の名前でローンを組んでいたのかもしれません。
あのときは“クソ親父”と思ったし、母親は昼も夜も働いて私たちを育ててくれたから、いろいろと感情はありましたよ。でも父親は自分のカネ儲けというより従業員のために働いていることがわかりました。父親を見直しました」
一緒に食堂を営んでいた前出の元恋人Aさんも、約20年前に堀之内さんと再び連絡をとるようになった。
「主人が勤めていた会社が傾いてきたので相談したら、堀之内さん、『うちの仕事を勉強したらどうか』と言ってくれて、彼の店で研修させてもらったんです。研修後、フランチャイズをすすめられるのかと思ったら、自分で独立したほうが儲けがいいと言われて、ありがたかったです」
その店が繁盛していることを堀之内さんは喜んでいたが、Aさんの夫は数年前に死去。
「そのときも店の片づけや在庫を全部引き取ってくれて助かったのを覚えています」
Bさんによると、堀之内さんは、どんな大変なときでも、弱音を吐く姿を1度も見たことがないという。
「すべて自分で引き受けて問題に立ち向かっている。あの姿は本当に尊敬します」
経営危機を乗り越え、「生活創庫」から「創庫生活館」に社名変更して5年間、堀之内さんは代表を離れたが、いまは返り咲いている。
堀之内さんは、次のステージを見すえている。特筆すべきは、「バイバイ」というスマホアプリの開発だ。
中古品を売りたい人がスマホで写真を撮って出品する。そこまでは既存のフリーマーケットサイトと変わらないのだが、違うのは、古物営業許可の資格を持つ専門業者が入札すること。業者は専門家なので、売る側は安心だ。
「メルカリとかヤフオクに勝とうとはしていない。違う種類のお客さんが使うでしょう。例えば会社の場合、明日までに机と椅子を50個売りたいといったオファーがくる。こういうのは業者が得意です」
堀之内さんはこのアプリによって、ネットにおける全国制覇を果たせるのではないかとも考えている。
「口幅ったい言い方だけど、リサイクルショップのブームは私が牽引してきたという自負があります。今後はこのアプリで日本の中古業を変えてやるという思いがあります」
絶体絶命のピンチを何度もクリアしてきた堀之内さんの人生。いったい何が支えてきたのだろう。
「“自信のカケラ”ですよ。子どものころ、夏休みの工作で作った盆を父親に褒められた話をしました。あれがあったおかげで、いまは芽が出ていないけど、俺はできるんだという気持ちになれたんです。
いま落ち込んでいる人も、自分を振り返って、運動会で一等賞をとった、絵を褒められた、笑顔がいい……、なんでもいいから、人より優れていたこととか、褒められたことを思い出してみてほしい。すると自信がわいてきます」
磨けばもう一度復活できる。商品に新たな命を吹き込んできた堀之内さんらしい言葉だ。
〈取材・文/西所正道〉
にしどころ・まさみち 奈良県生まれ。人物取材が好きで、著書に東京五輪出場選手を描いた『東京五輪の残像』など。2015年、中島潔氏の地獄絵への道のりを追ったノンフィクション『絵描き-中島潔 地獄絵一〇〇〇日』を上梓。