まさかの「トイレから中継」
さまざまな場所から年越し風景を届けてきた『ゆく年くる年』。前述通り、非常に長い歴史を持つ番組だが、そもそも始まりはいつなのか。
小原さん「資料があまり残っていないのですが、元々のルーツは昭和2年と聞いています。そのときは、増上寺から鐘を借りてきて、スタジオで108回鳴らし、それをラジオで放送したそうです。
昭和4年には『除夜の鐘』というタイトルで中継がスタート。中継先は浅草寺でした。今のようなリレー式で中継をつなぐ形になったのは昭和7年。その後、昭和28年にテレビでの放送がスタートし、昭和30年に『ゆく年くる年』というタイトルになったようです」
『ゆく年くる年』というタイトルになってから数えても66年。これだけ長いことやっていれば、思わぬハプニングに見舞われたこともあったはずーー。
今村さん「実際に中継が出なかったとか、大きなトラブルは聞いたことはないのですが、北海道で吹雪がすごくて、トイレから中継したことはありましたね(笑)」
小原さん「ありました。2012年に北海道稚内市の宗谷岬で年越し中継をしたんです。そこでは多くのオートバイのライダーがキャンプをしながら年越しをする。その様子を中継する予定だったんですが、その日は吹雪がすごくて、とてもキャンプなんてできる状況にない。
それでどうしたかというと、みなさん公衆トイレに避難して、そのすし詰め状態のトイレの中からキャスターが中継しました(笑)。もちろん、用意していた台本の中身も全部吹っ飛んじゃいまして……」
そもそも台本があることに驚きだが、生中継のため、台本は必須だという。
小原さん「例えば“ゆく年”パートの23時45分から0時までは15分。そこで3〜4つ中継場所を繋ぐとして、それぞれ10秒遅れると年越しがズレてしまう。そういうことが起きないよう、台本を作って時間管理はしっかりやっています。
あと、どこかで機械が故障して中継ができなくなってしまう可能性もゼロではない。いろんなシチュエーションに備えて台本はいくつかパターンを用意しています」
本番の大晦日に向けて、着々と準備は進められていく。中継スタッフが現場に入るのは、3日ほど前から。かなり多くの人数が稼働するという。
今村さん「厳密に計算しているわけではないのですが、ある年の現場を数えてみたら、一箇所だけで60名ほど関わっていました。
ディレクターとかプロデューサーだけでなくて、カメラを切り替える人とか、照明、音声、車両さんとかもチームに入りますので。これが10箇所ともなれば、総勢600名くらいかなと」
小原さん「大きなところだと、照明を当てないと映らなかったり、カメラケーブルを何百メートルも引いたり、木を傷つけないように保護したり……設営にも人を要するので。こじんまりとした中継先では、10人くらいで動いているところもあります」
29日からセッティングが始まり、30日からリハーサルが始まる。そして31日に本番を迎えるというが、当日まで油断はできない。
小原さん「北海道や東北で中継をやる場合は、雪景色も見どころのひとつ。でも雪がなかなか降らなくて、ヤキモキしている現場もたまにあります(笑)。天候ばかりは、どうにもなりませんからね」