「夏休みには長野県の別荘に、家族でよく来ていました。聖子さんは仕事を終えて事務所の車で夜遅くに来るのですが、次の日の朝には再び車に乗って仕事へ行ってしまうんです。沙也加ちゃんも寂しかったと思いますよ。
お母さんの車を見送る姿が切なくて……。遠ざかる車を、泣くわけでもなく、じっと見つめているんです。聖子さんも、少しでも娘と過ごそうと思ってのことだったのでしょうが……」(近隣に別荘を持っていた人)
下着を盗まれ、布団も濡らされ
それでも、大スターである母親のことが誇らしかった。
聖子は過去の雑誌インタビューで、沙也加さんの様子についてこう語っている。
《私が歌番組に出てると、必ず娘は見ているから、「今日はドレスがとてもかわいかったわ」とか、「今日は歌にちょっと元気がなかったみたいよ、どうしたの」って(笑)》
テレビに映る、母の姿に、目を輝かせていた娘。しかし、'97年に両親が離婚。
「聖子さんはアメリカで近藤真彦さんとの密会や英会話教師との不倫疑惑が報じられ、バックダンサーの男性とは、聖子さんが訴えられる“逆セクハラ”裁判に発展した。離婚した1年4か月後に聖子さんは、6歳下の歯科医師と“ビビビ婚”をします。流行語にもなりましたよね」(スポーツ紙記者)
このころ、沙也加さんは中学生に。全寮制の中学へ進学したが、そこでは壮絶ないじめが待っていた。
「著書で明かしていますが、下着を盗まれたり、布団を濡らされたことも。聖子さんは不倫疑惑が報じられ、再婚相手とも2年足らずで離婚するなどゴタゴタしていました。周囲に頼れる人がおらず、つらかったと思いますよ」(前出・ワイドショーデスク)
思春期に入り、より孤独を深めていった沙也加さんだったが、'01年にCM出演を果たし、14歳で芸能活動をスタート。少しずつ才能を開花させていく。
'02年に歌手デビューをし、'03年には映画出演で本格的に女優としての活動を始めた。'04年には舞台『INTO THE WOODS』に出演して、存在感を示した。私生活では恋愛を経験するが。