前進し続けたい

 女性醸造家として力強い一歩を踏み出した須合さん。だが、1回目が順調な滑り出しだったからといって、その後もコンスタントにうまくいく保証はない。天候不順が続けば、ブドウが思ったほど収穫できなかったり、甘みや香りが十分に出ないケースもある。オープン2年目の'17~'18年には案の定、トラブルに直面した。

 当時の状況を大下社長が説明してくれた。

「『サンジョベーゼ』の仕込みをした後、タンクで発酵させている間に異臭が出て、須合さんが困り果ててしまったんです。朝方まで一緒に様子を見て、いろいろ手を尽くすんだけど、解決策が見つからない。“どうしよう、どうしよう”とオロオロして涙を流す彼女の姿を初めて見ました。仕方ないので私自身も1000本分の商品化をあきらめて、自分たちで消費することにしたんです。

除梗機にブドウを入れ、押しつぶして果汁にし、発酵させる
除梗機にブドウを入れ、押しつぶして果汁にし、発酵させる
【写真】華奢な身体ながらに重労働をこなす須合さん

 その後、しばらく時間を置いたら味が変わり、少し飲める状態になった。この時点で欲しい方にお知らせして、500本は売り、残り半分はわれわれで飲みました。

 “ワインは生き物”ですし、こういうこともある。私も須合さんもあらためて再認識した出来事でした」

 若尾さんによれば、異臭というのはよくあるトラブルのひとつだという。

 勝沼のワイナリー40社では頻繁に勉強会を開いてさまざまな情報交換をしているが、須合さんから問い合わせがあればネットワークに当たって解決策を見いだし、伝えたことも何度かあったようだ。

「実際、私なんかも何千本というレベルのワインをダメにしたことがありました。生き物を扱う以上、ミスは起こりうる。お客さんには謝ったり回収したりとその都度、対処法を考えていくしかない。彼女もトライ&エラーを繰り返して年々タフになり、たくましくなっているなと感じます。この仕事はそうやって成長していくしかないんですよ」(若尾さん)

 師匠の力強い言葉を糧にして、苦難を乗り越えた須合さんは、3年目の20年には高品質の国産ワインの証である『日本ワイナリーアワード』で3つ星を獲得。4年目を迎えた今は、ブックロードでは「富士の夢」「アジロンダック」「甲州」など7種類のブドウを駆使して、新たなワインを次々と発売している。

 販路も順調に拡大。今では全国100以上の百貨店や小売店で取り扱いされている。辻さんも「伊勢丹や東京駅の大丸でみっちゃんが造った『アジロン』を見つけたときは​本当に感動しました。自分も喜んで飲んだし、プレゼントもしました」と声をはずませた。

 さらに、'20年には台湾でも取り扱いがスタート。「海外で自分の造ったワインを飲んでもらえるなんて夢のよう」と、須合さんも喜んでいる。

「自分の足で歩ける」生き方を重視する須合さん。醸造家になって以来、その思いは強まっている 撮影/矢島泰輔
「自分の足で歩ける」生き方を重視する須合さん。醸造家になって以来、その思いは強まっている 撮影/矢島泰輔

 そのすべては質の高いブドウがあってこそ。「ワインは9割9分がブドウ次第」と若尾さんも強調するが、香りのないブドウからいい香りは出ないし、糖度の低いブドウから甘みが出ることもない。

 常に味わい深いワインを作り続けるためにも、ブドウを育ててくれる契約農家との良好な関係は欠かせない。須合さんは頻繁にコンタクトを取り、可能な限り足を運び、感謝の気持ちを示す。真摯な姿勢で得た信頼関係は大きな財産になっている。

 一方で複数の自社農園も確保。'22年1月からは東京・八王子の新農園を稼働させ、3~4年後にはリアル東京産ワインの生産を目指す。

 '20~'21年にかけては「ワイン造り体験」も実施。15万円で1樽造る参加型イベントは参加者に大好評だった。生産者の「顔の見えるワイン」の素晴らしさを伝えるべく、彼女は工夫を凝らし、貪欲に走り続けていく覚悟だ。

「何もないところからブックロードを立ち上げ、ひとつの形になったことで、もっと先へ進みたいという意欲と勇気が湧いてきたんです。今、あらためて感じているのは“1回きりの人生、やりたいことをやったほうがいい”ということ。

 
数年前に念願だったひとり暮らしを始めましたが、ワイン造りを続けている以上、私の周りにはいつもたくさんの人がいる。関わってくれる人のためにも、さらに前進し続けたいと思っています」

 自立した女性として邁進する須合さんを、20年来の友人・辻さんは心から誇りに感じているという。

「私自身も55歳で早期退職し、お好み焼き店を母たちと開業したんですが、人間、何歳でも再出発できると思うんです。みっちゃんや私を見たママさんバレーの若い後輩も“何歳だからダメってことはないですね” “いくつになってもやれると自信になる”と言ってくれています。

 
醸造家としての今のみっちゃんの姿は、彼女の勲章。これからも身体に気をつけて、素敵なワインを造り続けてほしいと願ってます」(辻さん)

ステンレス製タンクを覗き込む須合さん。品質管理が欠かせない 撮影/矢島泰輔
ステンレス製タンクを覗き込む須合さん。品質管理が欠かせない 撮影/矢島泰輔

 1人、また1人と応援してくれる人を増やしている須合さんとブックロード。その存在がより多くの人に知られ、味わい深いワインが日本を飛び越え、世界中に広がっていく日が訪れることを強く祈りたい。

〈取材・文/元川悦子〉

もとかわ・えつこ ●ジャーナリスト。長野県松本市生まれ。サッカーを中心に、スポーツ、経営者インタビューなどを執筆、精緻な取材に定評がある。『僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン)ほか著書多数