父親に大反対された積極的な接客
かつて二村さんはシンクロナイズドスイミング(現・アーティスティックスイミング)の日本代表選手だった。引退して結婚、出産を経て、実家の隆祥館書店に戻ったのは1995年。その翌年をピークに出版不況が始まり、ずっと右肩下がりが続いている。
二村さんが両親の営む書店を手伝い始めて間もなく、中年の男性客に「おすすめの本は?」と聞かれ、自分の好きな『鉄道員(ぽっぽや)』(浅田次郎著)を挙げた。
それをきっかけに、積極的にお客に声をかけるようになったが、当初、父には「一介の本屋が大それたことを」と反対された。それまでは黙っていても本や雑誌が飛ぶように売れた時代だったのだ。
「父には、正直、そんなん言ってる場合ちゃうでと。売り上げはどんどん減る一方で、小さな本屋にとっては、もう毎日が生き残るための闘いみたいなものでしたから」
本をすすめたお客が次に来店したとき、「ものすごいよかったわー」と言ってくれ、二村さんは心の底から喜びが湧き上がってきた。
「実はここに帰ってきたときは、自分に対する自信もなくなって、生きていても価値がないわと思っていたんです。本屋には立てるんやけど、パニック障害で地下鉄にも乗られへん状態で……。それが、私のおすすめした本を喜んでもらえて、ちょっとずつ、ちょっとずつ、自信を取り戻せていけたんですよね」
二村さんは出版社から送られてくるプルーフという見本や新刊本を読み込んで、いい本を探した。閉店後は寝る間を惜しんで本を読むのが日課で、もう25年続けている。
だが、時間も読める量にも限りがある。興味の幅も簡単には広がらない。助けてくれたのも、お客だった。
百貨店勤務の岡住容子さんは大の日本映画好き。5年前、「タイトルを度忘れしてしまった」という本を二村さんが探し出したのを機に、ほぼ毎週来てくれるようになった。
ある日、岡住さんから『活動写真弁史』という分厚い本の注文が入った。二村さんがツイッターで「活弁の本が売れました」とつぶやいたら、著者で活動弁士の片岡一郎さんがフォローしてくれた。しかも、関西に行く用事があるから、隆祥館書店に来てくれるという。
「岡住さんに教えていただいたおかげです。うちのスタッフも活弁が好きになって、活弁関係の本を置きだしたら、片岡さんともご縁ができた。めちゃくちゃ感謝してます」
店で片岡さんのサイン会をやると知らせを受けた岡住さん。当日は信じられない思いで駆けつけたそうだ。
「いつもステージで見ていた、私にとっては雲の上の人がここに来るの? とすごくビックリしました。ここで買った本はどれも、“こんなおしゃべりをしながら買ったなー”とか、思い出が残っています。大きな本屋さんや、ネット注文ではありえないですよね」
二村さんが作り上げたのは、本というモノを売買するだけの店ではない。本を通して、教えたり、教えられたりする、かけがえのない場所だ。