この道と決めたケーキ修業時代
最初に師事した先生は、キャンパス内でアップルパイやパンを販売しており、生徒たちの間でも「美味しい」と評判だった。
「その人に師事しようと工房を訪ねてみたら、“あなたに捧げる時間はないわ”と言われたんです。『三国志』の三顧の礼じゃないですけど、3度、4度と訪ねてみたら、ものすごく雪深い地域だったこともあって、“雪の間は構内での販売ができないから、その間の3か月なら毎日あなたに1時間半取ってあげられるわ”と言っていただいて。
アップルパイとそのほかのケーキを少し習ったんですけど、結局1か月ぐらいだったかな。短いし、それだとディプロマ(卒業認定)も取れないわと思って」
次に見つけた先生の教室は料理が主体で、ケーキもヨーロッパのものが多かった。目論見がはずれた平野さんは、ほかの生徒に「ニューイングランド地方のケーキを教えてくれる先生、誰か知らない?」と聞いて回り、ひとりの生徒から有力情報を得た。
「そこで出会ったのがシャロル・ジーン先生です。“あなたは日本に帰ったら、ケーキのお店をやるのね。私の夢はB&B(小規模の食事付き宿泊施設)をやることなの”とおっしゃって。かわいい教会を買って、彼女の旦那さんがそれをリノベーションしている最中だったんです。
オープンしていたら私に時間を割くことはできなかったでしょうし、タイミングもよかった。すごく素敵な先生で、今もレシピを習い続けています。師匠であり、親友です」
授業がない日は高速で片道1時間半の距離を車で飛ばし、朝から夕方までレッスンを受けた。
その後、少し早めに卒業できそうなこと、先生の家により近いことからイースタンコネチカット州立大学に転校。先生の手が空いたときに飛んでいって教えを乞うことができるようになった。
プライベートをほぼケーキの習得に費やした9か月の集中授業で、アメリカンベーキングの基礎はもちろん、お菓子教室での会話の仕方や間の取り方まで学ぶことができた。気がつけば、更年期の症状も消えていた。
「帰国しても何の後ろ盾もないし、これを習得したからといって何の保証もありません。だけど、これで暮らしを立てていくと決めた以上、できることはやろうと思いました。
シャロル先生は、材料や準備をきちーっとする人で、“オーブンを休ませないこと”も教わりました。ケーキにはオーブンでしばらく休ませたほうがよいものと、すぐに取り出したほうがよいものがあります。
“あれが何分後に焼き上がるから、次はこれの準備をして……”と効率を考えるようになり、自分でお店を始めたときに役立ちました。今の仕事があるのは彼女のおかげだと思います」