“このまま野垂れ死んでもいい”
そんなころ、沖縄のあるバンドと出会った。音楽とダンスを通じ、いろんな人たちが楽しむ仕事に憧れていた西さんは、自衛官を辞め、ダンサーとして歩むことにした。
しかし、ダンスの世界も厳しかった。バンドの人たちは応援してくれたものの、なかなか稼げない。心機一転、借金をして地域の人々が交流するコミュニティールームを作ってみたが、それもうまくいかず、最終的に家賃を払えなくなった。
「大学も辞め、自衛隊も辞め、みんなに期待されていたダンサーも辞め、ちょっと感覚がおかしくなっていたんですかね。今思えば、追い詰められていたのかもしれない」
あるとき、知人に会うために上京した際、沖縄に帰る飛行機に乗りそびれ、そのまま東京で路上生活を送ることになった。24時間開いている施設、公園、路上を転々とし、フリーWi-Fiのある場所で日雇い求人を探して働いた。
「何も考えられなかった。不安も希望もありませんでした」
2020年東京オリンピックに向けてか、居場所はどんどん減っていき、一文無しのまま新宿のバスターミナルで過ごす日々が続いた。デパートで水を飲んでしのぐ生活。“このまま野垂れ死んでもいい”とすら思った。
「空腹は、3日過ぎると痛みに変わるんです。痛みに変わると、そんなに苦じゃないんですよ。結構耐えられたりするから」
水だけで3週間過ごしたが、3週間を過ぎたときに、急に眠れなくなった。追い詰められたとき、目にしたのが前出の路上脱出ガイドだった。
「緊急シェルターとか生活保護の情報も書いてあったんだけど、ピンとこなかった。でも、ビッグイシューは、1冊売ったら現金が入る。イメージしやすかったんです」
西さんは、ビッグイシューに来て初めて、自分がホームレスだと自覚したという。
「僕はそう思って気が楽になりました。それまでは逃亡者みたいで、よくわからない生活をしていたから」
前出の佐野さんも言う。
「例えば、ネットカフェや友達の家で暮らしていたらホームレスじゃないですか。でも、まだ自分はホームレスじゃないとか、路上の人よりは大丈夫だから頑張れます、と言う人は少なくない。もう十分に頑張っているし、すでにそこから頑張るのはかなり厳しいという状況でも、自分でなんとかしなきゃいけないと考える人もいるんです」
西さんは、その後、ビッグイシューの販売者をしながら、現在は『夜のパン屋さん 神楽坂かもめブックス前本店』のスタッフとしても働いている。神楽坂から自転車で15〜20分圏内のお店を回り、売れ残りそうなパンをピックアップし、販売する。お客さんにパンの感想を聞きながら、次のお客さんにもつなぐ。
「僕らもパンのプロではないから、お客様と一緒にパッケージを見ながら、味や評判について話すことが多いですね。食べたことがあるという人の情報を聞いたり、お客様にこれがおいしかったのと言われたことを覚えていて、それを伝えたり」
そんな西さんに、枝元さんの印象について聞いてみた。
「存在が大きいですよね。感性がすごい人だなと思います。熱くなるところもあれば、冷静なところもあるし。結構、おっちょこちょいなところもあったりして。でも、大きな人だなと思いますね」
“何かあれば、最後は私が責任を取る”という枝元さんの姿勢に、安心感がある。
「今までの職場で、そういうタイプの上司はなかなかいなかった。バンドで言うとバンドマスター?いや、プロデューサーかな」