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ー 徐々に感情に変化が

 

 誰もがぶち当たる「親の介護と死」。それは女性有名人たちも同じようだ。病老介護を余儀なくされた堀ちえみ、施設に預けたことが認知症を加速させたのではと自責の念に駆られる真矢ミキーーー。葛藤や後悔を語る彼女たちだが、共通するのは親への感謝と深い愛。今回は'20年に、約10年間の介護の果てに実母を看取った阿川佐和子編。LINEで面会、リモート葬儀…彼女が経験した、コロナ禍での新しい看取りとはーー。

徐々に感情に変化が

 エッセイストとして幅広い年代の女性から支持を得ている阿川佐和子も、突然降りかかってきた介護、そして看取りに直面し、約10年にわたる介護生活を送ってきた。

 認知症を患う実母の介護が始まったのは2011年ごろ。兄1人、弟2人の4人きょうだいだったが、“親の面倒を見るのは娘の責任”という思いが強く、仕事を辞めて実家に移り住むか、自宅に母を呼び寄せるかの選択に悩んだ。

 また、当初は“認知症の母”を受け入れられず、なんとか元の母に戻そうとイライラしたり、介護への気負いから、弟に「私がやればいいんでしょ!」と感情をぶつけたこともあったとインタビューで回顧している。

 それでも、年月を重ねることで徐々に“子ども返り”した母を受け入れ、「母のだらしない姿を見たくない」と気が重かったおむつ替えもパッとこなせるほど慣れてきた。

 そんななか、順調だった介護生活をコロナ禍が襲う。

 2020年1月、ショートステイで訪れた老人専門病院で軽い脳梗塞を起こし、母はそのまま入院する。感染対策で面会が拒否されるなか、なんとか実現したのが、LINEのグループビデオ通話機能を使った“リモート面会”。ようやくじかに対面できたのは、最期のときだった。

 コロナ禍で介護や看取りはどう変わったのか。介護者の支援を行っているNPO法人「UPTREE」代表の阿久津美栄子さんはこう言う。

「親に対して“まだ大丈夫だろう、今の状態でいてくれるだろう”と希望的に思っていても、ある日突然終わるのが介護。さらにコロナ禍で、突然会えなくなるケースも増えたため、直接会えること、見送れるということがより貴重になっています」

 看取りでは、呼吸が小さくなっていく母に何度も呼びかけ、アメリカにいる弟もビデオ通話で声をかけた。最期のひと呼吸までの約7時間を寄り添えたことで母の死による大きな喪失感が軽減された。葬儀もオンラインを活用し、きょうだい全員で母を見送る。

「母が死ぬときは号泣すると思っていたのに、泣かなかった」と振り返るが、すべきことをやれた充実感があったのだろうか。

 前出の阿久津さんは言う。

「最期のときを一緒に過ごすことは、親のためだけではなく自分自身にとっても大切なプロセス。きちんとお別れができるというのは、身近な人の死を乗り越えるための大事な時間になるはずです」

 親の看取りでは、少しずつ納得して死を受け入れていくもの、と対談で阿川は語っている。コロナなどで突然近しい人を失った場合、なかなか納得できないのではないか─、経験者の立場から、そう思いやる言葉を述べた。