サラリーマンからエンバーマーへの転機

 日本国内でエンバーマーになるには、前出のIFSAが指定するエンバーマー養成校で必要な知識を習得し、研修を修了して、エンバーマーのライセンス資格を取得しなければならない。現在、IFSA認定の養成校は、神奈川県平塚市にある日本ヒューマンセレモニー専門学校のみ。狭き門となっている。

 真保さんが養成校に入学したのは、30歳のときだった。新潟県新潟市の出身。山形大学工学部で化学を学び、医療機械メーカーに就職。営業職として9年半勤めた。

 エンバーマーを目指すようになったのは、こんなきっかけからだった。

「医療機器メーカーなので、病院とのお付き合いがメインでした。あるとき、お世話になっていた看護師さんの息子さんが亡くなられたんです。川で溺れたという話でした」

 真保さんとは休日にバーベキューをするなど、家族ぐるみで親しくしていた。訃報を聞いてお通夜に駆けつけたが、息子さんは死後24時間を超えていたため、法律上、すぐに火葬ができる状況だったという。

「看護師さんご本人も、何をすればいいのかわからない茫然自失の状態で……。普段はこちらが元気をもらうほどはつらつとした人が、あんなに落ち込まれているのに、自分には何もできない。それが悔しくてたまりませんでした」

 エンバーミングという言葉自体は、すでに知っていた。

「私が大学4年だった1995年に、阪神・淡路大震災が起きました。その被災地で外国人がエンバーミングの措置を受けたということを現場で手伝っていた知人に後日、聞いたんです。看護師さんの息子さんが亡くなった後、改めてネットで検索して、エンバーマーという仕事があることを知りました。そうした中で、家族など大切な存在と死別して悲嘆に暮れる人を支える『グリーフケア』という言葉も知るようになったんです」

 社会人となって以来、働き詰めだった真保さんには貯金もあった。仕事は順調だったが、新たなチャレンジをするなら30歳の今しかない。そう思えた。

 そして2003年、大阪の葬儀メーカーが運営するエンバーマー養成校に入学。半年間、葬祭学や遺体衛生保全など、専門知識を習得する座学を中心に学んだ。それが終わり試験に合格すると、実技課程へ。プロのエンバーマーの処置を見学し、指導を受けながら、インターンとして技術向上を図るのだ。

20歳の真保青年と祖母。いつもほがらかな祖母からは大きく影響を受けたという
20歳の真保青年と祖母。いつもほがらかな祖母からは大きく影響を受けたという
【写真】体内に薬液を注入させながら血液を排出させる、エバーミングに欠かせない装置

 真保さんはインターン時代に、100体ぐらいにエンバーミングを行ったそうだ。

「2005年に起きた福知山線の脱線事故は、今でも忘れられません」

 JR西日本の福知山線で発生した列車脱線事故は、死者107名、負傷者562名を出し、列車事故としては戦後最大の惨事となった。

「エンバーミングの実習が始まって間もないころでした。実習先の葬儀社が中心になって遺体の処置を行ったので、私もお手伝いをしたんです。

 事故に遭った方が納体袋や毛布にくるまれ運ばれてくるんですが、死亡確認後、すぐに運ばれてきたようで、身体中にガラスの破片などがくっついている状態。袋もガラスであちこち裂けていました。まずガラスの破片を取るところから処置をしていったのですが、どんどんご遺体が送られてきたので、正直、研修どころではありませんでしたね」

 養成課程を終えた卒業生はIFSAによるエンバーマー認定試験の受験資格が得られ、合格すると、晴れてエンバーマーとして働ける。

体内に薬液を注入しながら血液を排出させる装置。エンバーミングに欠かせない工程の1つだ 撮影/齋藤周造
体内に薬液を注入しながら血液を排出させる装置。エンバーミングに欠かせない工程の1つだ 撮影/齋藤周造

 真保さんは資格取得後、プロのエンバーマーのもとで4年ほど働いたのち、介護施設に1年ほど勤務していた。

「もっと学ぶ必要があると思ったんです。介護施設では、入所者さんの声に耳を傾け、その気持ちに寄り添うことを学びました。それがエンバーマーになって、亡くなった方のご遺族に寄り添うことにつながっています。寝たきりの方の着替えの方法なども教わるんですが、その際の経験がご遺体の着付けに活かされています。ご家族は、自分たちが介護をしていたのと同じ方法で私がケアしているのを見ると、安心されるんです」

 真保さんが介護現場で得た大きな学びのひとつが、「尊厳」ということだった。

「お年寄りの多い現場ですから、高齢の方の認知状態を教わりながら、相手の立場に立って共感的に話を聞く“傾聴”についても学んでいきました。尊厳を守るとはどういう行為なのかを知ることができ、勉強になりました」