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1932年(昭和7年)、茨城県生まれ、昨年11月に89歳を迎えた大崎博子さん。練馬区の都営住宅でひとり暮らし。後期高齢者ではなく“高貴香麗者”を名乗り、趣味は散歩と太極拳と麻雀、そしてツイッター。
「面白いからやってみれば」と娘さんにすすめられたのが、ツイッターを始めたきっかけだ。今では15万人を超えるフォロワーのいる大崎さんだが、最初は友人1人だけだった。
東日本大震災の際にSNSへの考え方が変わる
「何が面白いのかしらと思っていたの。どんなことを書けばいいのかもわからないし。でも、東日本大震災の際に意識が変わった。ロンドンにいる娘と電話がつながらず困っていたんだけど、唯一取れた連絡手段がツイッター。すごいな、ツイッターって役に立つんだな~って。そこから本格的に始めたの」(大崎さん、以下同)
東日本大震災後の原発事故への不安や東京電力への疑問などをつぶやいたところ、ネットニュースで取り上げられて話題となり、一気にフォロワーが増えた。
「パソコンでツイッターをやっていたのだけど、リツイートや“いいね”の通知音がボンボン鳴り続けて、ちょっと怖かったわ。どうやって消すかもわからなかったのよ」
反響に驚くと同時に、
「ごく普通に生きてきたおばあさんのつぶやきを、聞いてくれる人が世界中にいる。これはとてもうれしいこと。生きる活力になるってかんじ」
そう感じた大崎さん。2011年8月の敗戦記念日前後には、戦争体験のつぶやきを投稿。
「ツイッターを始めたのが11年前。当時も今も、戦争体験を投稿する人なんてほとんどいないんじゃないかしら。
今の日本はまだまだ平和だから、戦中戦後のつらさを伝えなきゃって使命感もあります。でも、戦争の話ばかりじゃ楽しくないでしょ。やっぱり、人を元気にするつぶやきをしたいですよ」