祖母の恩義と愛を知った孫の本音
祥子さんが急死した2年後に、祖母のふみさん(仮名)は107歳で眠るように亡くなった。
その1か月前には入院していた病院の個室に友人たちを呼び、宅配ピザを取ってピザパーティーをして、後で医師に叱られたエピソードがあるほど、最期まで元気だったそうだ。
ふみさんは明治44年生まれ。新聞社で当時はまだ珍しかった女性記者として活躍後、大阪大学に入学。卒業して記者に復職したが数年後に退職して夫の事業を手伝うようになった。夫はアルミの先物買いで莫大な資産を築いた後、40年以上前に亡くなり、ふみさんが財産を相続した。
ふみさんが亡くなったとき、自宅の土地と建物、現金や有価証券などを合わせると遺産総額は8億円に上った。遺言書どおり、葬儀費用などは別にして、約160坪の自宅は東山区に、残りは自ら立ち上げた京都の景観を守る一般社団法人や京都市、母校の大阪大学に寄付された。
母娘そろって、なぜ寄付先が地元と大学なのか。北村さんは、京都人ならではの理由があるという。
「京都人って排他的で、京都愛がすごく強いんですよ。母校愛も強くて、特に祖母はまだ女性が大学に行くのは珍しい時代に学んでいるので、大学に対する恩義を感じていたんだと思います」
母の祥子さんは3人きょうだいの真ん中で姉と弟がいる。ふみさんの遺言書があっても、子どもは遺留分を請求する権利があるが、2人とも相続を放棄。母の代わりに代襲相続人になった孫の北村さんと妹も放棄した。