老後──後継者問題の悩み

 老後──小百合さんでもリタイアを考えることがあるのだろうか。

「もし哲夢と彼が生きていればね、今ごろ私はここにいませんよ。動物園のことはさっさと哲夢に任せて、私は彼とハワイで悠々自適に暮らしていたでしょうね」

 アハハと笑いながら、冗談とも本音ともつかない言葉を口にする。人の心の中は複雑だ。いつもいつも前を見て突き進むのは疲れる。ゆっくり余生を楽しみたいというのも、ひとつの本音だろう。実は5年ほど前、小百合さんは、M&A(企業合併・買収)による事業譲渡を考えていたという。

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「後継者問題で悩んで。次男の峰照と麻衣夫婦がスタッフとして働いてくれていますが、私が退いたあと、あの子たちはちゃんと事業を引き継いでやっていけるのか、と。

 どこかの企業と統合して動物園を存続させたほうがいいかもしれないと思い、M&Aの専門家に相談したところ、2つの企業が統合に名乗り出たんです。どうしようかと迷って、飲み友達のひとり、布留川さんに相談したら、大反対されました」

 日本動物園水族館協会の会議で20年以上前に知り合ったという布留川信行さん(72歳)は、八景島シーパラダイスを設立し、社長も務めた人物だ。企業人として幅広い知識を持つ布留川さんに、小百合さんは全幅の信頼を置いている。

企業統合して譲渡するということは、坂本園長の手から離れるということ。これだけ手をかけて愛情を注いできた動物園ですから、やはり他人が手を加えると坂本園長は納得できないと思うし、きっと悔やむでしょう。

 他人が行うことは、自分が行うこと以上のものにはならないですから。それと、ここには事業継承者がちゃんといますよね。親の目から見ると、お子さんたちは物足りないのかもしれないけれど。若い人たちは必ず育つし、引き継いでいきます。何か問題があるわけでもないのに、M&Aをするのは、あまりにも損失が大きい」(布留川さん)

 と、小百合さんの性格を知るからこその反対意見を述べた。

正直、私の心の中には、譲渡して手を引いてしまえばラクなんだろうなという気持ちも。でも、動物園がこれまでと違う方向性で運営されたらイヤだなと思ったんです」

 M&Aは白紙に戻した。そして、コロナ禍で臨時休業をせざるをえない状況となり、この間に施設の発展に向けてタイ王国政府からの協力も得て、老朽化の進んでいる施設を含めてリニューアルを進め、昨年3月にオープンとなった。

「コロナの先行きが見えない中、銀行からお金を借りて再発進。布留川さんに相談役になっていただき、新たに営業担当の人にも加わってもらいました」

 バイタリティーあふれる母に対して、娘の麻衣さんは尊敬の念を抱く。

母は“やる”と決めたことはやり遂げる人。私が小さいころから“もう決めたから”という言葉をよく口にしていました。自分で決めたことに対して突き進む精神は、人として見習いたいと思いますね」

 布留川さんは、園長としての小百合さんを高く評価する。

「経営者としても優秀で、いろんな挑戦をする。飲み友達のときは、その点が非常に気が合ったんです。加えて、相談役としてここに来て感心したのは、動物の生態にものすごく詳しく、何より動物への愛情が深いことです。

 園長は、はっきりと物を言うし、細かいところまで気がついて指摘するから、スタッフの人はそれなりに大変でしょうが(笑)、みなさん優秀で、動物への接し方や愛情のかけ方は、やはり園長のマインドを引き継いでいますね。園長が面白がってやっているから、スタッフも楽しそうに働いている。そんないい関係ができていると思いますね」