10月3日、東京・霞が関の東京地方裁判所。背の高い初老の男性が足早に法廷に向かう姿があった。
男性の名前は、江蔵智(えぐらさとし・64)さん。生まれて間もなく東京都墨田区にあった都立墨田産院(1988年に閉院)で別の新生児と取り違えられた、いわゆる「赤ちゃん取り違え事件」の被害者だ。
2021年11月、江蔵さんは東京都に対し、実の親の調査実施を求めて裁判を起こした。都を相手取り提訴するのは今回で2度目。第3回公判となるこの日は海渡雄一・小川隆太郎両弁護士とともに出廷、実親探しの重要な手がかりとなる『戸籍受付帳』の開示を求めて、62ページにも及ぶ意見書を提出した。
1958年に起きた「赤ちゃん取り違え事件」
江蔵さんが言う。
「本当の親を調査してほしいという願いは、当たり前のことだと思います。真実を知ることは間違いでないという結果が出てほしい。これまで都だけでなく、墨田区にも調査を求めては、たらい回しにされてきました。都と区が力を合わせて調査してもらえれば真実に出会えます。真実は1つで、あとは明かされるだけ。僕はその真実が知りたい」
代理人である海渡弁護士はこう主張する。
「日本も批准する『子どもの権利条約』に、“子には親を知る権利がある”と記されています。都は墨田産院の開設者であり、行政当局でもある。赤ちゃんの取り違えという大きな瑕疵(かし)(間違い)があったわけだから、間違った状態を正す責任があるはずです」
江蔵さんは今年で64歳。本当の両親は、おそらく90歳近いはずだ。育ての母であるチヨ子さんも89歳と高齢になり、現在は認知症のため介護施設で暮らしている。そのチヨ子さんが、2004年に都を提訴した際、添えた陳述書が胸を打つ。
《私が生んだ子どもがどうなっているのか、見届けたいし、会いたいです。次男に似ているところもあるでしょうし。
でも見るだけで、声はかけられないと思います。見た瞬間、驚くだけですぐには声がかけられないです。向こうの気持ちもあるでしょうから。会えるものなら、遠くからでも見てみたいです。その気持ちに変わりはありません》
自分がどうやって生まれたのか真実を知りたいと願う子どもの思い、引き離されたわが子を慮(おもんぱか)る母親の思い──。すべては1958年、取り違えが起きたことで始まった。
当時、江蔵さん一家が住んでいたのは東京・台東区。その西隣にあたる墨田区の産院を選んだのは、父・董(ただし)さんが受けたアドバイスがあったからだという。
江蔵さんが語り始める。
「父親は都の職員で、都電の運転士でした。都立病院なら(出産)費用も安いと上司にすすめられたそうです」
戸籍上、江蔵さんの誕生日は同年4月10日となっているが、取り違えがあったため、本当のところはわからない。
とはいえ、母・チヨ子さんは取り違えなどみじんも疑うことなく、誕生したばかりの息子を連れ、産院から台東区のわが家へ戻った。だが江蔵さんは、物心がついたころには、すでに小さな違和感を抱き始めていた。
「母は4人きょうだいで、父も6人きょうだい。本家だったので、盆や正月には親戚がいっぱい集まります。でも、親戚同士でも子ども同士でも、どうも話が合わない」
血のつながった家族なら感性も似ていて、同じ場面で笑い、泣き、感動したりする。ところが江蔵さんの場合、笑いのツボも話題の好みも、親戚やいとこたちとは異なっていた。小学校低学年のときには、叔父からこんなことを言われたという。
「“おまえは(両親の)どちらにも似てないなあ”と。母も同じように言われ、からかわれていましたね。母は“何、バカなこと言ってんのよ!”と笑って返していましたが、陰では泣いていたと、後々になって聞きました」
目に見えないほどのチリが積もり積もって綿ぼこりとなるように、小学校低学年から少しずつ積もり始めていた家族への違和感。それが、江蔵さんが中学2年生のときに爆発する。きっかけは、父・董さんとの確執だったという。