大学で運命を変える先生との出会い
大学に入り、幼稚園教諭、保育士の免許を取るため実習に行った先で、また運命を変える出会いが─。
実習初日、ある男の子がパーッと部屋に入ってきて、正座して待っている奥田さんの膝に乗ってきた。目が合うとニコッと笑う。
奥田さんに甘える姿を見て、周りの先生たちは驚愕している。その子は重度の自閉症で両親の抱っこも嫌がっていたのだ。
「俺には何か、子ども磁石みたいなものがあるのかな」
内心そう思ったが、次の日からは遊ぼうとしても逃げられる。3週間の実習が終わっても納得がいかず、自閉症について単位に関係なく自主的に実習を続けたいと別の大学の研究室を紹介してもらう。その先生が、たまたま行動分析学の専門家だった。
「そこでは遊びながら子どもを変えていくんですよね。子どもが変わると親も喜ぶし希望があるやん。臨床をやるなら心理学の中でも行動分析学がいちばんでしょうと」
意気込んで研究の進んでいるアメリカの私立学校を半年間見学。そのまま留学したかったが資金不足で帰国。病院で発達臨床の見習いをしながら大学院に進み、行動分析学を学んだ。出張カウンセリングを始めたのもこのころだ。学生時代は無償で、卒業後は有償で、行動分析学をベースに独自の工夫を重ねた。例えば、ゲーム好きな不登校の子どもにどう対処するか。
「寄り添うだけの心理士だと、言いなりでしょう。僕なら、お金の動きまで確認します。好き放題やらせているとか、祖母が内緒で課金の協力をしているとか。守れない口約束をして反故にされる親も多い。なので、例えばですが親子で契約を交わす【行動契約】を使うこともあります」
学会で大御所に論戦を挑むことも度々
25歳で修士課程を修了し、兵庫県の障がい者入所施設で嘱託の心理士として週4日、残り3日は大阪市のクリニックで働いた。だが、7日働いてもアルバイトなので年収は240万円。家賃2万5千円のぼろアパートに住み、学会に参加し専門書を買うとギリギリの生活だった。
「大学院を出ても常勤職の募集はなかったんです。今さら一般職は考えられないし。でも貧乏は苦にならなかったし、やりたいことができるから楽しかったですよ」
その施設で体罰を推奨していた上司と口論したため、早々に窓際に追いやられた。だが、それを逆手に取り、さまざまな手法を自由に試していったのだ。
「自分の便を部屋中に塗りたくったり、自分の両目を叩き続けて失明してから来た人もいる。そんな“強度行動障害”と判定を受けた人を助けるため、アメリカの論文をいくつも読んで、論文に書いていないことは自分で考えて作る。施設に入ると利用者の楽しみは食べることぐらいしかないから、食べ物は効果的でした。やることを増やすために中古のスロットマシーンも導入しました。とにかく楽しみを増やしたんです。
そこの1年で、僕に直せない行動上の問題はなくなりましたね。暴れまくっていた人がニコニコして仕事をするようになったケースとかを学会で発表すると、“スゲー”となるわけですよ。よその施設や支援学校の強度行動障害も多くの先生たちの目の前で直しました」